みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
今週も明るく楽しくヨタ話からまいりましょう。
週末はザ・リッツ・カールトン沖縄に宿泊してまいりました。
リッツ沖縄とマセラティとのコラボレーションである「マセラティ・エクスペリエンス」が、昨年に続き今年も登場したのです。100年を超えるマセラティの歴史の中で初めて作られたSUVであるレヴァンテに、滞在期間中乗り放題。2回の朝食と1回のマセラティ特別メニューの夕食、そして沖縄一の名門コースとしてその名も高い喜瀬カントリークラブでの1プレイ、もしくはスパでのトリートメント(強力にスパをお勧めします)がついて、2人で2泊してお値段たったの19万4602円。当欄読者の富裕層の皆さま方にとってはタダみたいなものです。
今年もやってまいりました。ザ・リッツ・カールトン沖縄。客室数わずか97室のこぢんまりとしたホテルなので、ゆったり静かに過ごせます。
恩納村を中心とした「沖縄西海岸」と呼ばれるこのエリア。8月には海岸沿いにハイアット リージェンシー 瀬良垣アイランド 沖縄が、そして来年にはハワイの名門ハレクラニがオープンします。ハレクラニの総支配人には、去年までリッツ沖縄の総支配人だった吉江潤氏がヘッドハンティングによって起用されました。平和な西海岸は、ここへ来て高級ホテル戦争の様相を呈してまいりました。一カ所に長く滞在するのも良いですが、2泊ずつホテルホッピングするのも楽しいかもしれません。
「M・A・S・E・R・A・T・I」で構成したメニュー。コジツケに近い部分もありますが、そこはまあご愛嬌。美味しゅうございました。ポーションの量も的確。去年はボリュームが多過ぎましたので。
しかしリッツに目をつけるとは、マセラティもやるものです。SUVにしたのもナイス。せっかくリゾートに来たのだから、やはりセダンよりもSUVでしょう。
私が訪れたのは、このプランが始まったばかりの日で、レヴァンテの車体にリッツのロゴ文字を貼り付けている真っ最中でありました。総支配人自らご苦労様です。マセとリッツの組み合わせ、最強です。
レヴァンテのスリーサイズは全長×全幅×全高が、それぞれ5000×1985×1680mm。
見た目がシャープなのでサイズ感が掴みにくいですが、数字にすると非常に大きいクルマです。“押し出し感”も満点です。そこのけそこのけレヴァンテが通る。
いやはや立派なクルマです。停めていると必ず人が寄ってきて「すごいクルマですねー」と話しかけてくる。
SUVとはいえそこはマセ。スポーツモードにしてスロットルペダルを強く踏むと、獰猛な獣に豹変します。堪能いたしました。
さてさて、それではボチボチ本編へとまいりましょう。
無資格検査の発覚により、国内では評判ガタ落ちのSUBARUだが、“メインマーケット”である米国(以下、アメリカ)における勢いは留まるところを知らない。
SUBARUの米国法人であるスバルオブアメリカ(SOA)は、先日2018年上半期販売セールス結果を発表した。総販売台数は32万2860台。これは前年同時期を5.9%も上回る好結果で、上半期に限って言えば、SOA史上最高の数字である。販売の主役はSUVで、新型の発売を控えるフォレスターは7万9277台。次のモデルを待とうと買い控えが起きていたので、前年同期比で1割近くもダウンしているのだが、それでも依然としてアウトバック(9万978台)と並び、販売を牽引している。以降、クロストレックの7万4475台、インプレッサの3万7814台と続く。この調子で行けば、SUBARUのアメリカ販売台数は11年連続で伸び続けることになる。まさに「アメリカあってのSUBARU」である。
このアメリカに於ける絶好調は、「LOVE」をキーワードにしたキャンペーンが奏効した、と言われている。実際のところはどうなのだろう。SUBARUはアメリカの市場でどのように理解され、どのように売れてきたのだろう。
SOAの副社長とコーポレート・コミュニケーションを担当するディレクターにお話を伺った。
インタビューはニューヨーク国際オートショー2018でアンヴェールされた新型フォレスターの記者会見直後に会場地下にある会議室で行われた。
お話を伺うのは、SOAのsenior vice president of marketing(マーケティング担当上級副社長)の Alan Bethke氏と、director of corporate communications(コーポレート・コミュニケーション担当部長)のMichael Mchale氏である。
マスク姿にドン引きされるAlan Bethke氏(左)とMichael Mchale氏(右)
F:はじめまして。フェルディナント・ヤマグチと申します。記者会見直後のお忙しい中にお時間をいただき恐縮です。
M:はじめまして……ていうかあの……そのマスクは何なのですか……?
F:私は日本のコラムニストです。企業にとって都合の良くない記事を書くことも多いので、命を狙われる危険性があるのです。それで公の場に出るときやメディアに出るときはこうして顔を隠しているのです。
A、M:はー……。
SUBARU広報K原氏:ちょ、ちょっと、フェルさん。ウチの人間に変なことを言わないでくださいよ。思い切り怪訝な顔をしているじゃないですか。
こう言うと彼は、「彼は日本の企業に勤務するビジネスマンで、本業バレを防ぐためにマスクを被っている」と説明をした。
F:SUBARUは「LOVE」をキーワードとしたキャンペーンを展開して大成功したと伺っています。実際にどのような効果があったのか。LOVE前とLOVE後で何が起きたのか。そのあたりを教えてください。
A:アメリカの自動車マーケットは、非常にタフなことで知られています。アメリカは、40前後のブランドから約265モデルが売り出されている、超過密市場です。とても混雑している。たくさんのブランド、たくさんのモデルが溢れている競争の激しいマーケットです。
F:40ブランド、265モデル。そんなに……。
A:これだけたくさんのモデル、ブランドがあって、それぞれのブランドが他との「差別化」を意識しています。
2008年までシェア1%。誰もSUBARUを知らないぞ
F:「ウチのクルマはひと味違いますよ」と。
A:そう。みんながみんな、「他とは違いますよ、我々は特別ですよ」とアピールしている。そうした背景を理解したうえで広告宣伝に目を向けると、それほど違いのない、同じようなところにフォーカスした広告宣伝ばかりが目立ちます。それは機能だったりスペックだったり、あるいは比較広告であったり。ええ、値引きや保証の期間も重要なアピールのポイントです。「私たちは他と違う」と言いながら、実はどこのメーカーも共通した広告を打ってきたのです。
お恥ずかしい話ですが、SUBARUも同じでした。SUBARUはアメリカに来て今年で50年になりますが、その多くの期間を、他の会社と同じように「ウチは違う」と言いながら、機能だったりスペックだったり他社との比較広告を打ったりしていたのです。その結果はどうだったか。アメリカにおけるシェアはわずか1%。販売台数は18万5000台程度で頭打ち、という状態がずっと続いていたのです。
M:今のは過去の話。“LOVEキャンペーン”を始める2008年以前の話です。私達は調査をしました。なぜSUBARUは売れないのか。そもそもなぜお客様が我々SUBARUを購入検討の対象にすら入れてくださらないのか。すると我々にとって、とてもショッキングな結果が出てきました。それは我々の予想とは大きくかけ離れたものでした。
A:例えばSUBARUのデザインが好きでないとか、SUBARUは燃費が悪いとか、そういうことではなかったのです。買わない理由。検討対象に挙がらない理由はそこではなかった。
F:売れない理由が、デザインでもない、燃費でもない。となると……?
A:もちろん燃費やデザインを「買わない理由」として挙げる人もいました、でもそれは少数派でした。多くのお客さんの答えは、「SUBARUというブランド自体を知らなかった」。そして「イメージを持つほどの認知がなかった」というものでした。
F:OMG! 多くの人の答えが、「SUBARUって何?」。あるいは「聞いたことあるけど。ようワカラン」という答えだったと。
M:その通り。OMG! です(苦笑)。それが2007年時点での、この国におけるSUBARUの認知だったのです。
A:ショックでしたよ。売れない理由が「SUBARUなんて知らない」なんですから。知っていても、ほとんど知識がなくて、SUBARUというブランドに対する意見など何も持っていない。そんな人が大多数だったのですから。知らないのだから売れるはずがありません。それがシェア1%、販売台数18万5000台のブランドの現実だったのです。
M:「SUBARUって何?」というアイデンティティーがない状態が長らく続いていました。一方で、SUBARUが大好きで、買い続けてくださる方々も少数ですが存在した。こんなマイナーなクルマを(笑)、いったいどんな人達が買ってくれているのだろう。それを紐解いていきました。そうしたら、高い教育を受けて、高い収入を得て、長くクルマを所有してくれる人達が浮かび上がってきたんです。SUBARUはあまり知られていないブランドだけれども、こういう特徴のある人達が買ってくれているブランドでもあるのだな、こんなことが見えてきました。
F:長期間の所有とおっしゃいましたが、アメリカでは1台のクルマをどれくらいの期間所有するものなのですか。そして高所得、というのは年収どれくらいの層を指しているのですか。
A:市場平均でいうと4年以下。SUBARUに限って言うと、6年から7年です。高所得に関しては、具体的な年収ではなく、ローンではなくキャッシュで買われる層を意味しています。収入のレベルでいうと、SUBARUよりももっと高い価格帯のクルマを買える方々なのに、敢えてSUBARUを選んでいただいている。そんな人達です。
M:自分の人生に対してすごく情熱的で、いろいろなことにチャレンジして、アドベンチャーを人生の中に持ちたいと思っている人たちがSUBARUのオーナー像です。
「LOVE」はユーザーから生まれてきた
「高所得」の定義に関しては言及を避けた、という印象だ。まあここはあまり突っ込んでも意味がないだろう。「もっと高いクルマを買えるのに、敢えてSUBARUを選んでいる」という点が興味深い。
A:同じくSUBARUを所有しているユーザーのアンケート結果には、大勢の人が「LOVE」という言葉を使っているという特徴がありました。
F:アンケートに「LOVE」という選択肢があったのですか?
A:ありません。自由記述の部分です。我々メーカー側から「LOVE」と言い出したのではなく、お客様ご自身が表現として使われたのです。そのキーワードを、我々が自社のマーケティングに取り入れて展開したのが「LOVEキャンペーン」です。
F:それが2008年にスタートで。
M:そうです。2008年。いまから10年前です。
F:具体的にはどのような展開をしたのですか。CMでラブラブ言うんですか。
A:それは映像をご覧になったほうが良いでしょう。YouTubeにいくつも上がっていますから、代表的なものをお送りしましょう。
F:「LOVE」というキーワードはアメリカのCMにはとっくに溢れていて、それこそハンバーガーでも紙オムツでも使うじゃないですか。マクドナルドは「I’m loving it.」でしたっけ。それらとはどう違うのですか。SUBARUだけが際立つとは思えないのですが。勝因はどこにあるのですか。
A:メーカーからの押し付けではない、お客様が実際に使っていた言葉を真実として取り入れた、自発的な言葉だからです。
M:それと、我々はハンバーガーや紙オムツの会社とは違う。自動車メーカーだからです。自動車メーカーは、本来数字で表せるものを、性能や燃費や安全性を、More More More! もっともっとアピールしたいものなんです。
F:あー! なるほど。ハンバーガーや紙オムツは性能を数字でアピールしにくいから、エモーショナルな部分に訴えるしかないわけだ。
A:ご名答! 我々は数字で言いたい部分を抑えて、敢えてエモーショナルなアプローチにしたわけです。それでお客様が実際に使われている「LOVE」という表現を取り入れた。そこが彼らとの大きな違いです。
F:なるほど。これは面白い。いや大変よく分かりました。しかし2008年にはずいぶん難しい判断をなさいましたね。SUBARUであれば、水平対向エンジンとか、それがもたらす低重心とか、先進のAWDとかをアピールしたいじゃないですか。そこをグッと抑えてLOVEだ何だと言うのは結構な覚悟が要りますよね。
M:そうですね。販売がずっとフラットな状態が続く中、どうしたらもっとSUBARUの認知度を上げていけるのか。意見のぶつかり合いはたくさんありました。しかし「このままではいけない」という強い意識もありました。だから、まったく新しいアイデアを、今まで誰もやったことがないようなことをやらなければいけない、と。
A:だからヤマグチさんが「難しい判断」とおっしゃったのは、本当にその通りなんです。いま考えても、それは非常に難しい判断でした。
F:しかも2008年はリーマンショックですものね。世界同時不況へ突入した年です。
M:ええ。リーマンショックの年に、アメリカの市場で前年を超えたブランドというのは、唯一SUBARUだけなんです。ただ、これはLOVEキャンペーンが奏効しただけでなく、ちょうどその年にSUBARUの商品がアメリカ市場に合ったサイズになった、ということも大きな理由の一つです。
今日の5世代目のアンヴェールの際、一番左に置いてあったクルマがあるでしょう。あれが出たのが2008年で。真ん中に2つ置いてあったものから一回り大きくなっています。当たり前ですが、売れた理由は一つではありません。それは優れていて市場に適合した商品であったり、正しいマーケティングであったり、そういう要素の組み合わせです。
右側が初代、左側が2008年にアメリカで発売された「アメリカ市場に合わせたサイズ」の3代目フォレスターだ。日本では「デカくなり過ぎた」と怨嗟の声が溢れたものだが、フォレスターはほとんどアメリカで売れるクルマですからね。仕方がありません。
A:そう。いろいろな要因があるとは思うのですが、SUBARUの商品がアメリカ市場に合ってきたこと、そしてマーケティングが良くなった。これが躍進の2本柱と言えるでしょうね。
M:無論そこには販売店が力を付けてきた、ということもあります。それを忘れてはいけない。
F:販売店と言えば、SUBARUは全てのメーカーの中で、もっともインセンティブ(インポーターがディーラーに対して支払う販売報奨金)の金額が低いと聞いたことがあります。それは事実ですか?
左は2代目、右側は4代目のフォレスター。2代目はヴェールを纏っていても小さいことが分かる。
A:事実です。輸入車、国産車に限らず、我々が一番インセンティブが低い。そして、そうした中でも、2017年まで9年連続で販売記録の更新を続けています。マーケットシェアは1%から4%近くまで伸びました。
M:インセンティブも低いですし、在庫数は業界でも非常に低いレベルにあります。利益率は我々SOAも、SUBARUのディーラーも非常に高いレベルを維持しています。
ディーラーはメーカーを普通に見切る
F:両方とも儲かっている。実に結構ですが、インセンティブが低いのにディーラーの利益率が高いのはなぜですか?
A:これもいろいろな要素があるのですが、需要が非常に高い一方で、供給は過多になっていないことが大きいです。
F:ハングリーマーケットであると。
A:そうです。市場がハングリーであれば、値引きして無理に売る必要がありません。値引かなければ、ディーラーは高い利益を確保できる。
F:そうか。他の会社は、インセンティブはディーラーの利益ではなく、値引きの原資になっている。
M:そうそう、そうなんですよ。そしてアメリカのディーラーは独立資本です。メーカーの資本が入っていない。完全に独立しているので、言うなれば我々のブランドに対して投資をしていただいている状態です。つまり、そのブランドに魅力がなく、将来がないと判断されれば、サッサと見切られてしまう、ということです。
F:OMG!
A:OMG、ですよね(笑)。
M:SUBARUは将来に向け、いまもっとも成長が期待できるブランドという評価をいただいています。だからディーラーさんも安心して投資ができる。
F:9年連続で成長しているとのことですが、そうすると買い替えだけでは済みませんよね。どこか他のメーカーからの乗り換えが出ているはずです。どこからの乗り換えが多いのですか。
A:トヨタが一番多い。その次がホンダからの乗り換えです。
SUBARU広報:フェルさん。そろそろ……。彼らもミーティングが立て込んでおりまして。
F:OMG!
SUBARU広報:僕は日本人です。
F:ああそっか。下手な英語で喋り疲れちゃったぞ。それじゃどうも、ありがとうございました。
A、M:ドモアリガトゴザイマース!
ノリの良いSOA役員諸侯。大変申し訳ございません。
こうしてSOA大幹部へのインタビューは終了した。しかしさすがはアメリカの広報担当役員。どんな質問にもスラスラと立て板に水で答えてくださった。
来週はニューヨーク郊外に足を延ばし、SUBARUの販売店に突撃する。
すごいんですよこれがまた。
それではみなさまごきげんよう!
こんにちは、AD高橋です。
フェルさんの新型フォレスター話はまだまだ続きますが、今回の後ヨタは初代フォレスターの話を。
本企画の担当であるマイトのY氏も乗っていたという初代フォレスターがデビューしたのは1997年。現在は全高が1715~1730mmあるSUVの王道的なスタイルをしていますが、初代の全高は1580mm。どちらかというとステーションワゴンにSUVの雰囲気を盛り込んだクロスオーバーモデルの先駆け的存在でした。
デザインはやや薄眼で睨みをきかせるようなフロントフェイスが特徴的。そして最高出力250ps、最大トルク31.2kg-mを発生する2L水平対向ターボを搭載(デビュー時はターボのみのラインナップだったのです)。ブロロロロ…と低い音を出しながら豪快に加速する独特な乗り味に衝撃を受けました。
2000年にはなんとSTI(SUBARU TECNICA INTERNATIONAL)の手が入ったS/tb-STiまで登場。さらに度肝を抜かれました。同じ年に登場したトヨタ・ハリアーがクロスオーバーSUVの市場を切り開いていったものの、当時はまだSUV=クロカン4WDが主流の時代です(あとはRAV4が作りだしたライトクロカン)。初代フォレスターはかなり異色の存在でしたよね。
初代に副編集長が付けた粋なあだ名
当時、私はあるクルマ雑誌の編集部に在籍していました。その雑誌の副編集長は、フォレスターの記事に“ジャパニーズ・タイフーン”という見出しをつけたのです。
「なるほど、タイフーンか……」
フォレスターの立ち位置を一言で表したこの見出し、今でも鮮烈に覚えています。
タイフーンとはGMCブランドから1992年に登場した3ドアボディのSUV。これは小型ピックアップトラックをベースにしたSUV「ジミー」をベースに最高出力280psを発生するV6 4.3Lターボを詰め込んだモンスターマシンでした。直線の速さは強烈で、そこらのスポーツカーじゃ太刀打ちできないほど。一方でコーナーは超おっかなかったですが。
顔つきは派手ではないけれど、独特の武骨さが醸し出す迫力に、前のクルマが道をあけるほど。当時はアメ車といえばシボレーアストロやカプリスなどがブームでした。タイフーンはそのあたりとはまったく違う、独特のカッコよさがあったのを思い出します。
そんなタイフーンに乗っていたことで知られる有名人が故ムッシュかまやつさん。あの優しげな風貌とクルマのギャップがとても印象的でした。
タイフーンの写真、あちこち探してみたのですが見つからなかったので、気になる人はぜひ検索してみてください。
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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