みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
今週もドタバタと慌ただしく過ごしておりました。
まずはこちら。スキー場開きが行われたばかりの山形・月山に行ってきました。雪深い月山は例年4月の下旬になってから、何日も掛けてラッセルを行い、漸く開場に漕ぎ着けるのです。
今回は休みをとって木曜の夜から山形入りしました。金曜の朝はご覧のとおりの雪景色です。
今シーズンはどこのスキー場も雪不足に泣かされていますが、ここ月山だけは別世界です。
それでも積雪は例年より2mも少ないとのこと。うーむ……これが地球温暖化というヤツでしょうかスターン先生。次回はホノルルトライアスロンの翌週に行く予定なのですが、果たしてそれまで雪が持つかどうか……。
この季節に新雪を楽しめるのですから堪りません。シュプールが見えますでしょうか。
金曜日は強風のためリフトが止まってしまいました。ならばと山の上の駐車場から麓のネイチャーセンターまでを降りるオフピステを、クルマでピストン輸送してもらいながら10本ほど滑りました。いやー、スキーは楽しい!
開けて月曜日は下北沢のビールが飲める本屋さん、B&Bで拙著「『仕事がうまくいく7つの鉄則 マツダのクルマはなぜ売れる?』」の出版記念イベントを行いました。ご来場いただいたみなさま、お楽しみいただけましたでしょうか。
まなぶ効果で満員御礼。ストローでビールを飲んだので酔いました。
当日は河口まなぶ氏との対談という形で、彼の知名度に乗っかろうと言う姑息な戦法を取りました。お客さんが来ないイベントって惨めですからね。
イベント後の打ち上げ会。日経BP社の偉い方々と、さして偉くない方々と。日経エコロジーに異動したムーチョ相馬氏(右奥)ですが、どこへ行こうが私の書籍担当なので腐れ縁は切れません。彼に安息の日は訪れるのでしょうか……。
フジテレビが運営するニュース専門のネットTV、「ホウドウキョク」“ニュースのキモ”に出演して来ました。当日朝に報道された三菱自動車の燃費偽装事件のお陰様で、仕込んでおいたネタの75%がムダになるという憂き目に遭いました。
何もこの日に公表しなくてもいいじゃないですか、相川社長。
キャスターの鈴木さん、アナウンサーの戸部さんと。マスクマンの登場は当番組始まって以来初のことだそうです。そりゃそうでしょう(笑)。
この番組はアーカイブでもご覧いただけます。
陣中見舞いに来てくれたフジテレビKIDSの入江伸子女史。彼女とは幼稚園からの同級生です。昔からアタマ良かったもんなぁ……。
そうそう、興味深い映画を見たのでちょっとご紹介を。
昨年IRONMANコペンハーゲンに出場した際に訪れた“世界一のレストラン”NOMA。
日本で期間限定出店した際は、シェフだけでなく皿洗いのスタッフまで連れてきたそうです。この写真は昨年9月にNOMAで撮ったもの。
ここを舞台にシェフのレネ・レゼピ氏に4年間も密着取材をした渾身のドキュメントです。
彼が移民で、差別される環境に在ったとは知りませんでした。できればNOMAで食べる前に観たかった。そうすれば味わいも変わっていたかも知れません。何れにせよ、大変“響く”映画でした。
『ノーマ、世界を変える料理』。4月29日(こりゃ私の誕生日じゃないですか!)から全国順次ロードショーです。
さてさて、長ヨタを飛ばしたのでサクッと本編へ参りましょう。
ホンダが久々に放ったスマッシュショット。S660の開発者、本田技術研究所 四輪R&DセンターLPL、椋本 陵さんのロングインタビュー第3弾です。
熊本で大変な地震が起きた。
東日本大震災から今年で5年。人々の記憶が何となく薄れかけてきた時に、ノーマークだった九州でまさかの大震災である。まさに「天災は忘れた頃にやって来る」、だ。
ホンダの二輪車生産工場である熊本製作所も相当なダメージを受けたようで、14日の夜から操業を停止している。当初22日までの予定だった停止期間は、余震が続いているため28日まで延期された。翌29日から大型連休に入るため、そのまま5月8日まで休止が続く(4月22日時点での情報)。
九州には部品生産工場も多い。部品供給が滞っているため、三重にあるホンダの軽自動車の生産工場では、一部車種の生産を停止することも決まったそうだ。S660は三重県四日市市で生産されている。影響は出ないのだろうか。せっかくイイ感じに勢い付いているのに、流れが滞ってしまわないかと心配だ。
元気な椋本節を聞いて、不安を吹き飛ばしてもらおう。
50週年記念のイベントとして開催された車内のアイデアコンテストを勝ち抜いた椋本さん。理解の有る上司からの、「いいからお前らやっちまえ!」の声に押されて製作した(本来は作る予定の無かった)試作車は、伊東社長の目に止まり、「面白い!やろう!」の一言で量産が決定した。
言い出しっ屁の椋本さんは、かくして栃木へ赴任することと相成ったのである。
F:和光から栃木へ行けと言われた。それはモックアップモデルを作る部署から他の部署へ異動したということですね。栃木では何という部署に所属されたのですか。
椋本(以下、椋):LPL室です。Large・Project・LeaderでLPL。
F:いきなりLPLですか。ホンダ史上最年少での就任ですね。コンテストに優勝したお陰で、いきなり偉くなってしまった。
椋:史上最年少はそうなのですが、偉くはなっていないです。LPLという役職と社内の等級はまた別のものなので。
F:LPLは誰でもなれるものなのですか。例えば課長職以上とか、そういう決まりは無いのですか。
椋:それまでは、何かしらのルールがあると思っていたのですが、どうやら誰でもなれるみたいですね。僕がなったところを見ると(笑)。
「LPLはどうやら誰でもなれるみたいですね(笑)」と椋本さん。本当でしょうか?
すごいんですよ、まるで動物園みたいな雰囲気で(笑)
F:そのプロジェクトは何人くらいで構成されているのですか。メンバーは椋本さんが選んだのですか。年齢は……椋本さんよりも年上の方もいたのでしょうね。
椋:メンバーは15人です。年上は、「いたのでしょうね」というか、全員が僕よりも年上です。最年長は50歳くらいの方です。
そもそも僕、それまで栃木研究所にはほとんど行ったことがなかったんです。1回だけ、入社研修の時に見学会的な感じでは行っているのですが、仕事で栃木をジックリと見たことはなかったんです。だからどんな感じの場所なのかすらも分かっていませんでした。
なんかこんな感じの(メガネを手で上下させながら)人たちばかりなのかなと。すごく緊張していたんです。
F:ははは。銀縁眼鏡をキラーンと光らせ、インテリ然とした感じの人達が揃っているのでは、と(笑)。で、実際に栃木に行ってみたらどうでした?
椋:なんかもう凄いんですよ。金髪の人はいるわ、チョンマゲの人はいるわ、まるでもう動物園みたいな雰囲気で。この部屋だよと案内されて入ろうとしたのですが、思わずいったん開けたドアを閉めてしまいました(笑)。
F:あ…..スミマセン。間違えました、みたいな(笑)。
椋:そうそう。いったんドアをバタンと閉めて、深呼吸してもう一回そうっと開ける、みたいな(笑)。
メンバーの決め方にしても、このチーム独特のやり方がありました。普通はLPLという“長”になる人がいて、その直下にアシスタントLPLという立場の人が付くんです。さらに各領域のプロジェクトリーダーがいます。例えばエンジンのプロジェクトリーダー、ボディーのプロジェクトリーダーというふうに。
F:それはS660だけでなく、他のクルマでもおなじことですか。
椋:はい。他のクルマでも同じです。で、アシスタントLPLですが、これは社内用語で“ダイコウさん”と呼んでいます。
F:ダイコウさん。代行運転のダイコウですか?
椋:そうですそうです。その代行です。今回は代行さんをバシッとベテラン3人で固めたんです。
F:それは椋本さんが人選して決めたのですか。
プロジェクトリーダーの公募に150人が挙手
椋:いえ。行ったら既に決まっていました。普通プロジェクトリーダーは「あなたはこのクルマをやってくさい」、と言うふうにトップダウンで決まるのですが、S660はLPLも特殊だから、何か面白い方法で決めようと公募制にしたんです。栃木の中でやりたいヤツは手を挙げろと。
F:そりゃ大変な人気になるでしょう。軽のオープンで、しかもミッドシップとくれば、みんながやりたいのだからハイハイとたくさんの手が挙がる。
椋:ええ。150人位の手が挙がったと聞いています。
F:それで15人ほどのプロジェクトなのだから、倍率はおよそ10倍。すごいエリート集団だ。どうやって選んだのでしょう。
椋:それはいろいろあって。例えば所属している室とか課とかの推薦であったりとか、指名であったりとか、いろいろゴチャ混ぜらしいです。あまり詳しいことは聞いていません。何しろ僕、その人選をしているときは引っ越し準備の真っ最中だったので(笑)。
だから、フェルさんの言う"エリート集団"という言い方とはちょっと違って、目立つというか、活気があるというか、ともかく賑やかな人が集まるチームになりました。代行さんは50代のベテランで固めてもらいましたが、他のメンバーは最年長でも30代でみんな若い。40代、50代の方の応募も多くあったそうですが、このクルマは全て若い人にやらせようと。
F:活気があって賑やかで若いチーム。良いですね。それじゃ銀縁キラーン系の人はいない。みなさん金髪やチョンマゲなんですか。栃木動物園は(笑)。
椋:それはないです。ちゃんとキラーン系の人もいます。もう本当にゴチャ混ぜです。研究所の中でも異質な集団だと思います。
それで初回の打ち合わせには、試作した例のクルマも持って行って、それを囲んでみんなでワイワイガヤガヤ議論しながら賑やかに終わったんですが……。
F:クルマを囲みながらのワイガヤ!ホンダの原点じゃないですか。良いですねぇ。これは盛り上がるぞ。イイ感じになってきました。
椋:そうなんです。イイ感じに盛り上がったんです。でも、その1週間後に震災に遭っちゃって……。
震災後……上からは「やるぞ」の一言
F:東日本大震災……。ホンダも甚大な被害を受けましたものね、天井が落ちたりして。
椋:そうなんです。それで2週間くらい会社に行けない状況が続いてしまって……。何とか行けるようになっても、会社としては、「ここまでに発売するよ」というクルマの認定とか、開発途中の仕事とかに追われてしまう。やっぱり原状回復が最優先なので。
となると、真っ先に消されるとしたら、何も始まってない機種で、しかも遊びの要素が強いクルマなんじゃないかという不安がみんなにあって。
「東日本大震災後の自宅待機の際は、とても不安でした」と振り返る椋本さん。
F:そうか。震災によりリソースが大きく削がれて、開発に優先順位をつけましょう、となると……。
椋:そうなると、まずは今造っていて遅れているクルマを最優先にリカバーさせることになりますよね。だからみんな凄く不安に思っていたんです。その長い自宅待機のときに。
F:椋本さんも不安でしたか。
椋:はい。このクルマはいったいどうなるんだろう……と正直ものすごく不安に思いました。会社が動き始めて出社してみたら、ああ、あれはもう中止になったからやらなくてもいいよ、プロジェクトも解散だから、なんて言われたりしたら。
F:そうなっても文句は言えませんよね。状況が状況だから。自宅待機が解けて、出社した時はどのようにして上と交渉したのですか。例のプレゼン以上に大変だったでしょう。
椋:やるぞと。
F:は?
椋:やるぞと。そもそも議論なんてない。議論どころか、止めようか続けようかなんて話も出ない。やって当然、続けて当然。上からは「やるぞ」の一言です。
そもそもスポーツカーって何?
F:そう来なくちゃ!いい話だなぁ。それは上の人が「今のホンダにはこのクルマが絶対に必要だ」と思っていたという事ですよね。それでこそホンダだ。
椋:そう思います。それで震災後も継続して開発することになりました。
F:ここからイッキにぐわっと開発が進んだ。
椋:そうは行きません。僕の経験が浅かったんですね。“まとめる”というのが凄く難しくて。
それこそ「スポーツカー」といっても、人によってとらえ方が全く違うんです。例えばハイパワーが良いという人もいれば、少ないパワーで軽快にという人もいる。オープンカーは嫌だとか、オープンじゃなくちゃダメだとか。そもそもミッドなんて必要なの、素人には難しいじゃん、とか。
F:あれ? でも軽でオープンでミッドシップという事は最初からの決定事項ですよね。みなさんその開発に携わりたくて手を挙げたのでは。それを入ってから文句を言うのはルール違反じゃないですか。
椋:それはそうなんですが、それでもやはりもう1回自分たちが本当に欲しいクルマって何だろうねと考える事は必要なんですよね。
F:なるほど。
椋:ボディー屋さんがいて、エンジン屋さんがいて、デザイン屋さんもいる。そしてみなさんそれぞれに異なるスポーツカー感を持っている。その人達がそれぞれバラバラに「俺が思うスポーツカーはこうだ!」と突き進んだら、企画は永遠にまとまりません。
だから真っ先に、スポーツカーはこうありたいんだという姿をバシっとみんなで考えて、そこに向かって各部署がベクトルを合わせていけるような、そんなやり方を取りました。「俺のスポーツカーはこれだ!」で突き進むやり方もあると思うんですが、やっぱり僕は経験も浅いですし、すり合わせが必要だと思いました。何よりもみんなでどんなクルマを造るのかという議論を延々とするのがメチャクチャ面白かったんですよね。
若きリーダーの下、S660の開発が始まった矢先に大地震が研究所を襲った。
東日本大震災である。このまま続けられるのか……不安な心のまま復旧した会社に向かうと、上司は「やるぞ」と一言。何やら出来過ぎの感もあるが、こんな話はまだ序の口だ。波乱万丈、S660の開発秘話は続きます。
あらー。インタビューのオコシを見返すと、まだ半分も行っていない。こりゃ長くなるわ。みなさまお覚悟を(笑)。
マツダ地獄、トヨタ地獄の次はホンダ地獄かぁ……。
前担当ムーチョS馬、スベる…
みなさんこんにちは。編集担当のY田です。
「前ヨタ」でもちょっと触れていますが、4月18日(月)、『仕事がうまくいく7つの鉄則 マツダのクルマはなぜ売れる?』の出版記念イベント、「フェルディナント・ヤマグチ×河口まなぶ 『クルマとトライアスロン、走りながら考える大人の愉しみ』」が開かれました。
本連載で執拗に宣伝を続けた効果でしょうか。おかげさまで、熱き中高年男性を中心に満員御礼でございました。フェルさんも、オトコ臭の濃さにむせび泣きしながら、河口さんとともに歓喜のトークを炸裂。ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました。
トークの内容は、後日、当連載で紹介する予定です。しばし、お待ちください。
さて、当日は基本的に大盛り上がりだったのですが、ごく一部、例外がございました。犯人(というか犠牲者?)は、前担当かつ、マツダ本の専属広報部長、ムーチョS馬です。
イベントは、S馬の司会でスタート。フェルさんと河口さんは、S馬の呼び込みで登場する段取りです。
S馬:(スマホを取り出し)「フェルさんが『呼べ』というので、ちょっと呼び出します」
F氏:「ピザハット下北沢店で~す! ご注文どうぞ~」
S馬:「クワトロチーズLサイズを」
F氏:「わかりました。すぐお持ちしま~す」
S馬:「ピザを持って現れるのでしばらくお待ちください」
会場:笑
この時点まではシナリオ通り。
で、本来ならすぐにフェルさんが登場するはずなのに、なぜか来ない。
たどたどしいトークで場つなぎを試みるS馬。
当然、たいした引き出しなどない。
瞬時にネタ枯れ。
困惑の表情を浮かべながら、ただ立ち尽くす。
その間、約2分間。
ピザハットネタで温まった場が完全に冷え切り、S馬の目に涙が浮かび始めたころ、フェルさん登場。
F氏:「みなさんこんばんは。河口まなぶでございます」
S馬の気も知らず、軽いボケをかましてトークは無事スタートいたしました。
フェルさんの指示でネタを仕込んだのに、放置プレイで返されたS馬。
その後の打ち上げでは、フェルさんのリクエストで、魚料理の店へ。
ちなみに、S馬は、魚介類は食べられません…。
本当にお疲れさまでした。
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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