椋本さんは現在27歳の若さだが、“軽自動車でオープン、2シーター、ミッドシップ”という画期的なクルマの「言い出しっ屁」であり、押しも押されもせぬS660のLPL(Large Project Leader)である。

 S660のコンセプトを創造し、激戦のアイデアコンテストで最終選考に残り、並み居る役員陣の前での緊張のプレゼンを経て、400倍の超高倍率コンテストの頂点に立ったのは高校を出てからわずか3年目、弱冠21歳の時だ。奇しくもバドミントンの桃田選手の狼藉が発覚したのと同い年の時でもある。

 遊びたい盛りの若者が、「何でも良いからともかく面白いモノ」と、如何ようにも解釈できる柔軟な、言い換えれば極めてテキトーな題目にビビビと反応し、本当に面白い企画を立案した。そして数年後、その企画はホンモノのクルマとなり、往年のマニアをも唸らせる本格的スポーツカーとして売り出されることとなった。

 いろいろな意見がある。またいろいろな見方も出来るのだろう。

 だが、この「若い人が開発をリーディングした」という厳然たる事実は、長い間ダメダメのダメ太郎だったホンダがジワジワと復活してきた“息吹”と見ることはできまいか。

 この4月1日。ホンダの生え抜きとしては史上初の女性執行役員が誕生した。

 この女性は、タイ、マレーシア、ベトナムなどに駐在し、直近では中国の合弁企業のトップを務めていた。中国での年間販売台数100万台突破を実現した立役者とも言われている。安倍総理の顔色を伺うために、大企業が“アリバイ作り”の一環として登用する、「とりあえずの女性活用」とはワケが違う。正真正銘、実力で勝ち取った役職である。こちらもホンダ復活の兆しと見ることは出来ないだろうか。

 と、のっけからムツカシイことを書いてしまったが、椋本氏のインタビューは、相変わらず飄々とした語り口で進んでいく。

 本田技術研究所の設立50周年記念事業として企画された、「何か面白いモノを考えよう」アイデアコンテスト。2輪、4輪に汎用機を加えた応募総数は800件にも及んだ。

 そのうち4輪のアイデアは半数の400件。それらは椋本さんが「誰だかよく分からないけど、たぶんウチの会社の偉い人」と言う選考委員による書類選考でイッキに10件に絞られた。

 選ばれた10件は、椋本さんが「何人いるか知らないけど」、と言う研究所職員の全員投票で、更に3件に絞られる。

 ここからが勝負である。居並ぶ役員陣の前で、弱冠21歳の青年がプレゼンを行うのだ。

 膝はガクガク歯はガタガタ。バカラ賭博どころの騒ぎでは無い。最終選考に残った他の二人は、提案したクルマの詳細を滔々と述べている。椋本さんはそれよりもクルマに対する思いの丈を述べた。「僕は何でこのクルマを作るのか」を語ったのだ。

「これは軽だから」と奥さんに言い訳できるスポーツカー

若者のクルマ離れに直面した、同じく若者の椋本さん。

椋本さん(以下:椋):僕が工業高校に入った頃から、若者のクルマ離れということは言われていました。卒業してホンダに入って2年目の夏に、貯金したお金で買った中古のS2000で地元に帰ったら、「なにコレ?」と仲間からドン引きされたりもしました。

 確かに若い世代はクルマに興味が無い。選ぶとしてもワンボックスです。じゃあ、昔からクルマが凄く好きで、いまは家庭を持たれている、40代、50代ぐらいの方がスポーツカーに乗っているかというと、やはり乗ってないですよね。みなさん良いなぁとは思っていても、実際に乗っている人はほとんどいない。

F:僕は50を過ぎたオッサンですけど、ちょっと前までスポーツカーに乗っていました。

:フェルさんは数字で言えば超少数派です。大多数の人はワンボックスを中心としたファミリーカーにいくんです。どうしてでしょう。やっぱり手軽に買えるスポーツカーが無いからです。

F:まあ複数台持ちでも無い限りはそうなりますよね。駐車場の確保もままならない都会では、複数台持ちは絶望的に難しい。地方に行けばまた事情は異なるのでしょうが。