みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
Tarzanの取材で朝霞駐屯地の自衛隊体育学校へ行ってきました。今回は「自衛隊格闘術」を体験する企画です。毎日カラダ張ってます。
今回お世話になった自衛隊体育学校、武道・格闘班のみなさま。一騎当千の強者揃いです。
詳細についてはTarzanをご覧頂きたいのですが、いやはや何とも凄い“技”です。
何しろ、想定される相手はガチでこちらを殺しに来る訓練された兵士であり工作員でありテロリストですからね。警察の逮捕術とは一味も二味も違います。当然こちらも側としても”それなり”の対処をする訳で。
マスク姿で小銃を持ったままゴロンと後転しているところ。非常に筋が良いと褒めていただきました。(銃はもちろんラバー製の模擬銃です)
彼らはあらゆる物を武器にします。ナイフや銃剣はもちろんのこと、銃にしてもズドンと撃つだけではなく、銃床で殴ったり、弾倉部分で突き飛ばしたり、銃身部分で突いたり、あるいはストラップで絞めたり…….と様々な使い道があるのです。詳細はTarzanの特集で。発売日が近くなったら改めてお知らせしましょう。
取材当日は体育学校広報班の片桐昌子三佐と基地の正門で待ち合わせ。広大な陸自基地のこと、門から取材場所の体育館までは結構な距離がある。
私のクルマに同乗を勧めたのですが、三佐は「いえ。自分の自転車がありますから」と固辞された。そしてヒラリと自転車に飛び乗るや、「それじゃ私について来てください! 」と一言。やおらロケットスタートで走り出し、体育館までダッシュで走り抜けたのでした。
猛ダッシュで基地内を走る片桐三佐。ママチャリで30km/hをキープして走るのは大変なことです。さすがは自衛官です。
そうそう。先週は当欄で日産広報・若井未来嬢の彼氏募集をさせていただいたのですが、今週は彼女募集のお知らせです。
格闘班の金バッチ。即ち日本全国の格闘術の教官を指導する「教官の教官」、鈴木庸浩氏です。繰り出すパンチや銃剣のサバキなど、ともかく動きがハンパ無く鋭敏です。
鈴木氏は「本気で募集中」とのこと。彼と一緒ならどんな暴漢に襲われても安心です。強い人が好きな方はぜひご連絡をください!
こちらは毎年恒例の自動車関係野郎飲み。三軒茶屋の飲み屋で遅くまで盛り上がりました。しかし金子氏がこんなデレデレのパパになるとはね(笑)。
左から扶桑社Esse立石史博氏、自動車評論家の渡辺敏史氏、フォトグラファーの望月浩彦氏、スポーツジャーリストの金子達仁氏、手前が私。
そうそう。ちょっと宣伝を。4月21日にフジテレビのインターネット放送「ホウドウキョク」に出演します。ニュースのキモという番組です。番組は13時からですが、私が出るのは2時過ぎくらいかな。当日深夜0時からはアーカイブでも見られるそうです。
さてさて、それでは本編へと参りましょう。
ホンダS660の開発責任者、本田技術研究所 四輪R&DセンターLPL、椋本 陵さんのインタビュー続編です。
椋本さんは現在27歳の若さだが、“軽自動車でオープン、2シーター、ミッドシップ”という画期的なクルマの「言い出しっ屁」であり、押しも押されもせぬS660のLPL(Large Project Leader)である。
S660のコンセプトを創造し、激戦のアイデアコンテストで最終選考に残り、並み居る役員陣の前での緊張のプレゼンを経て、400倍の超高倍率コンテストの頂点に立ったのは高校を出てからわずか3年目、弱冠21歳の時だ。奇しくもバドミントンの桃田選手の狼藉が発覚したのと同い年の時でもある。
遊びたい盛りの若者が、「何でも良いからともかく面白いモノ」と、如何ようにも解釈できる柔軟な、言い換えれば極めてテキトーな題目にビビビと反応し、本当に面白い企画を立案した。そして数年後、その企画はホンモノのクルマとなり、往年のマニアをも唸らせる本格的スポーツカーとして売り出されることとなった。
いろいろな意見がある。またいろいろな見方も出来るのだろう。
だが、この「若い人が開発をリーディングした」という厳然たる事実は、長い間ダメダメのダメ太郎だったホンダがジワジワと復活してきた“息吹”と見ることはできまいか。
この4月1日。ホンダの生え抜きとしては史上初の女性執行役員が誕生した。
この女性は、タイ、マレーシア、ベトナムなどに駐在し、直近では中国の合弁企業のトップを務めていた。中国での年間販売台数100万台突破を実現した立役者とも言われている。安倍総理の顔色を伺うために、大企業が“アリバイ作り”の一環として登用する、「とりあえずの女性活用」とはワケが違う。正真正銘、実力で勝ち取った役職である。こちらもホンダ復活の兆しと見ることは出来ないだろうか。
と、のっけからムツカシイことを書いてしまったが、椋本氏のインタビューは、相変わらず飄々とした語り口で進んでいく。
本田技術研究所の設立50周年記念事業として企画された、「何か面白いモノを考えよう」アイデアコンテスト。2輪、4輪に汎用機を加えた応募総数は800件にも及んだ。
そのうち4輪のアイデアは半数の400件。それらは椋本さんが「誰だかよく分からないけど、たぶんウチの会社の偉い人」と言う選考委員による書類選考でイッキに10件に絞られた。
選ばれた10件は、椋本さんが「何人いるか知らないけど」、と言う研究所職員の全員投票で、更に3件に絞られる。
ここからが勝負である。居並ぶ役員陣の前で、弱冠21歳の青年がプレゼンを行うのだ。
膝はガクガク歯はガタガタ。バカラ賭博どころの騒ぎでは無い。最終選考に残った他の二人は、提案したクルマの詳細を滔々と述べている。椋本さんはそれよりもクルマに対する思いの丈を述べた。「僕は何でこのクルマを作るのか」を語ったのだ。
「これは軽だから」と奥さんに言い訳できるスポーツカー
若者のクルマ離れに直面した、同じく若者の椋本さん。
椋本さん(以下:椋):僕が工業高校に入った頃から、若者のクルマ離れということは言われていました。卒業してホンダに入って2年目の夏に、貯金したお金で買った中古のS2000で地元に帰ったら、「なにコレ?」と仲間からドン引きされたりもしました。
確かに若い世代はクルマに興味が無い。選ぶとしてもワンボックスです。じゃあ、昔からクルマが凄く好きで、いまは家庭を持たれている、40代、50代ぐらいの方がスポーツカーに乗っているかというと、やはり乗ってないですよね。みなさん良いなぁとは思っていても、実際に乗っている人はほとんどいない。
F:僕は50を過ぎたオッサンですけど、ちょっと前までスポーツカーに乗っていました。
椋:フェルさんは数字で言えば超少数派です。大多数の人はワンボックスを中心としたファミリーカーにいくんです。どうしてでしょう。やっぱり手軽に買えるスポーツカーが無いからです。
F:まあ複数台持ちでも無い限りはそうなりますよね。駐車場の確保もままならない都会では、複数台持ちは絶望的に難しい。地方に行けばまた事情は異なるのでしょうが。
椋:そう。地方へ行けばクルマはマスト・アイテムです。2台、3台はどこの家庭でも当たり前に持っています。でもそれがスポーツカーとなると…..。
F:やっぱり難しいですか、3台もあるのなら、そのうちの1台くらいスポーツカーにするという選択はありませんか?
椋:残念ながら有りません。税金だけでも年間に3万円ぐらい払って、奥さんに「何よコレ」「使えない」「早く何とかして!」とか言われながら、肩身の狭い思いをしないといけないですよね。
F:なるほど。だからスポーツカーであっても維持費の安い軽にする必要がある。
椋:そうです。軽である必要があるんです。維持費が安いし、何しろ「これは軽だからさ」と奥さんに言える。軽なら説得がし易いんです。
F:奥様方にとって、軽と登録車(普通の5ナンバー以上のクルマ)はそんなに違いますか?
椋:それはもう全然違います。軽なら、「まぁしょうがないかしら……」と言われる確率がウンと高まります(笑)。
ヒドイ……。けど、もう驚きません。
F:なるほど(笑)。最終選考に残った他の二人は、クルマの詳細を述べたと仰いましたが、具体的にはどのような話をしておられましたか?他の2台とも、偶然に軽のスポーツカーだったんですよね。
椋:覚えていません。
F:マジですか。これも覚えていない?また野々村議員ですか(笑)
椋:いや……僕も偉い人の前でプレゼンなんかするのは初めてで、すごく緊張していたので……。ただ、話し終わった時には正直「勝ったな」と思いました。
F:すごい自信(笑)。ともかくこうしてコンペを勝ち抜いて、市販化への道筋がついた、と。
椋:いえいえ。このコンペは製品開発のコンペではないので、市販化へはつながらないんです。ただ、「君のが一番良かったね」と一等賞を決めるだけなんです。
F:えぇ!そうだったんですか。知らなかった。勝っても「良かったね」だけですか。金一封とかは出ないんですか。
椋:金一封は出ました。あと面白いのは、副賞じゃないですが「一等賞のクルマは、デザインモックアップを作っていいよ」となっていたんです。
F:デザインモックアップ。あの等身大の自動車模型みたいなやつですね。
椋:はい。ケミカルウッドで出来た実車大のやつです。見た目はもう丸っきり実車です。当時、僕が所属していたのは、埼玉の和光市にある四輪R&Dセンターの、まさにモックアップを作るモデラーのいる部署なんです。だからもう部署自体がワッと盛り上がっちゃって。
F:俺達のクルマを作るぞと。それは何という部署なのですか。
椋:いまは何という部署なんだろう。名前がコロコロ変わるんで、よく覚えていません。
F:ヒドイ……。けど、もう驚きません(笑)。
「いいからお前らやっちまえ」
椋:こういうコンペに勝つ人って、大抵はデザイナーなんですよ。やっぱり絵が描けるし、アイデアも面白いし。
モデラー部門から出たアイデアがコンペに勝つということは今までに無かったんです。だから余計に盛り上がっちゃって。これは面白いでと。「これは俺らのクルマやで!」と。
F:良いですね。これは盛り上がるな。
椋:いいでしょう。そしたらそのうちに、「モックアップだけ作るんじゃつまらないや」という話になってきて、実際に走るクルマを作っちゃおう、ということになったんです。ちゃんとミッドにエンジンを置いて、パイプフレームにガワも付けて。デザインが見られて、何となくですが、走ることも出来るクルマを作っちゃおうと。
「モックアップだけ作るんじゃつまらないや」という話になってきて、結局、作っちゃいました。
F:あー、良いですねぇ。でも当初の会社との話からは大きく外れちゃいますよね。最初はモックアップだけの約束なのですから。
椋:そうなんです。外れちゃうんです。でもそこは当時の上司がうまくやってくれて。「いいからお前らやっちまえ」と。俺が役員に話をつけとくから、どんどん進めちまえと言ってくれて。
F:すごいな。理解もあるし、なにより交渉力もある方なんですね。上司の方は何というお名前ですか。お年はどれくらい?
椋:山本ですね。歳は分かりません。40代後半というところですかね。僕らはモックアップを担当する部署だったので、栃木の四輪R&Dセンターでクルマの開発をしている人たちにも助けてもらいながら、何とか1台走るやつを作り上げました。
F:良いですね。とても良いお話です。自分のような外部の者が言うのもヘンですが、何か昔のホンダらしいイイ雰囲気が漂って来たような感じがします。で、それを仕上げるのにはどれくらいの時間が掛かったのですか?
椋:あ、スミマセン。それは言うなと言われているんで……。ただ、1年以内で仕上げることは出来ました。
F:なるほど。その期間も、開発中の他のクルマのモデルは作らなければいけない訳ですよね。S660の源流となる試作モデルと平行して、本業というか、日常のお仕事としてのモデル作りも有るわけですよね。
椋:いえ。もうこの時には、「お前はもう他の仕事はやらなくていいから、こっちに専念せえ」と言われました。「お前は言い出しっ屁なんだから責任持ってやれ」と。僕だけじゃなく、部署の人の大半もこっちに専念することになりました。
F:ひょえー!この段階で、それだけの人材を張り付けたんだ。それ、工数だけ見たって凄いコストですよね。凄いな。
椋:本来のモデル作成の仕事は大丈夫だったのかな?まあでも、ホンダは潰れていないから大丈夫だったんでしょう(笑)。
当時の社長が「これは面白い!やろう!」
F:すごいすごい!良いなぁ。なんかホンダらしくすごく良いですよね。いいな。で、1年以内にその試作車が出来ましたと。それからどうなりましたか。
椋:そのクルマは、「自分たちで乗って終わり。以上!」の予定だったんです。だけどある日、当時、本田技研工業の社長だった伊東が栃木にやって来て、その試作車に乗る機会がありまして。何だコレは!と。
F:伊東さんは最後の選考会に顔を出されていた?
椋:いえ。技研と研究所は別会社ですから、伊東は出ていません。あくまでこれは研究所のイベントとしてやったことなので。うわさ位は知っていたのかもしれませんが。そこで実際に乗ってもらって、その合間にS2000で地元に帰った時の話なんかもして。
F:S2000ドン引き事件(笑)。
椋:そう(笑)。そんな話を聞いてもらいながら試作車に乗ってもらったのですが、「これは面白い!やろう!」ということに。
F:やろうと言うのは、製品化しよう、ということですか。
椋:そうです。製品化しようと。
F:S660は社長のゴーで生まれたということですか。
椋:はい。社長のゴーで決まったと聞いています。2011年2月のことです。
F:時系列で整理をすると、椋本さんの入社が2007年。コンペに勝ったのが入社3年目の2010年。そして試作に1年ほど掛けて、伊東前社長が試乗されたのが2011年。ざっくりこんな感じでいいですか。
椋:はい。それでそれから、「お前は来月から栃木に行け」と言われて、引っ越しました。クルマを作る、ゼロから開発するのはそれまでいた埼玉・和光ではなくて、栃木の役割なんです。和光はどちらかと言うとデザインをする場所なので。同じ研究所の中でも、場所で役割が異なるんです。
栃木の研究所にやってきたホンダの伊東前社長が試作車に乗り、「これは面白い!やろう!」と一言。
伊東さんに関しては、「トヨタを目指してホンダをダメにした」とか悪く言われていたりもするけれど、F1への復帰を決めたり、試乗一発で軽スポーツにGOを出すなど、熱きホンダスピリットの持ち主でもあったのだ。
歴史に“IF”は無いけれど、あの日、伊東さんが乗っていなければ、S660は日の目を見なかったのかもしれない。
イキナリ栃木行きを命じられた椋本さん。勇躍乗り込んだ未知の世界は、一言で言うと「動物園」なのだった。いやあ面白い。最高に面白い。先を読みたいでしょう。
でも腹八分目で止めておくのが健康には良いらしいです。健康第一(笑)。それではみなさまごきげんよう。
ホンダのスポーツ車ラインナップは
「フェラーリにもポルシェにも真似できない」
こんにちは、ADフジノです
今回もいい感じで盛り上がっております、S660開発者インタビューですが、そこで椋本さんもおっしゃっているように、とにかく軽自動車であることにこだわったのだそうです。じゃなければ意味がないと。
現在、国内の新車販売の約4割を軽自動車が占めています。ホンダの数字をみても、今年1−2月の国内累計販売台数が約12万台、そのうち軽自動車が約5万7000台ですから約半数を軽自動車が占めているわけです。S660は軽自動車ゆえに実現できた企画と言えるかもしれません。
一方で、クルマ好きのわれわれは妄想するわけです。S660をワイドボディにして1.3リッターくらいのエンジンを積めばもっといいスポーツカーができるのではないかと。もちろんハードウェアとしては実現可能でしょうが、ビジネスとして成立させるとなるととたんにハードルが高くなる。
世界中のスポーツカーの顔ぶれを見渡せばそのことがよくわかります。車両価格200〜300万円台で買える、オープンカーや後輪駆動のスポーツカーなど日本メーカー以外に存在しません。トヨタはスバルに開発と生産を委託することでトヨタ86&スバルBRZを、マツダはフィアット124スパイダーの生産を請け負うことでロードスターを、ビジネスとして成立させている。逆に言えば、スポーツカーをグローバルで成功させるためには、高価な価格設定にせざるを得ないということかもしれません。
そしていまホンダは以下のような考えをもとに、スポーツカーの生産を継続していこうと奮闘しています。
「需要のあるところで生産する」
1979年に米国で二輪車の現地生産を開始し、1982年には日本の自動車メーカーとして初めて米国で乗用車の生産を始めたその知見によるものだと言います。
昨年10月、ホンダはいまは日本のラインナップから消えてしまったシビックのスポーツモデル、新型シビックタイプRを発売しました。国内販売は750台限定、ちなみに生産はイギリス、価格は428万円。今年の3月3日をもって無事に完売したようです。
新型シビックタイプR。2リッターVTECターボエンジンに6速MTの組み合わせのみ。最高出力310馬力、最大トルク400Nmで、ドイツのニュルブルクリンク北コースでFF量産車最速となる7分50秒63のラップタイムを記録した
そして、2代目となる新型NSXの量産が今月末からついに開始されます。リーマンショックの影響でいったんは白紙撤回された次期モデル開発でしたが、開発拠点、そして生産拠点も日本でなくアメリカに置いて、ようやく市販化にこぎつけました。新型NSXのグローバル生産拠点はオハイオ州に設立された「パフォーマンス・マニュファクチュアリング・センター」で、熟練した技術者と先進的ロボットとの技術の融合で組み立てられるといいます。
先行してアメリカで販売が開始され、メーカー希望小売価格は156,000~205,700USドル(1ドル110円換算で、1716万~2262万円)となっています。いまのところ日本での価格や発売時期は未定ですが、おそらく年内にはアナウンスがあるかと。
新型NSXは3.5リッターV6ツインターボエンジンに、フロントに2基、リアに1基の3モーターを組み合わせたハイブリッドシステムで前輪左右をそれぞれのモーターで駆動し、トルク配分を変化させるトルクベクタリング機能をもつ4 WDとなる。トランスミッションは9速のデュアルクラッチ式だ。トータル出力は580ps/645Nmに達する。
いま世界的に見ればスポーツカーは高性能化、高価格化、先鋭化が著しく、一部の富裕層のものとなりつつあります。そんな中で、日本は大衆スポーツカーの選択肢が多い恵まれた国と言えます。無論、なぜホンダは日本で開発し、生産しないのかという意見もあるでしょう。
しかし、もはや日本市場だけをみてスポーツカーを作り続けるのは困難です。そしてホンダはこの時代においても、いろんな策を講じて軽自動車から2000万円超のスーパーカーまでをラインナップしている。それはフェラーリにもポルシェにもできない芸当なのです。
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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