みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
今週も明るく楽しくヨタ話からまいりましょう。
週末は沖縄に行っておりました。今回は泡盛の工場にキャンプ・シュワブと、「大人の社会科見学」が中心のショートトリップです。
まずはこちら。糸満市のまさひろ酒造さん(こちら)。
“蔵祭り”なるイベントを開かれていて、どれどれと覗きに行ったら、なんと泡盛の生産工程を見学させてくださるという。沖縄に遊びに来るようになって、すっかり泡盛の魅力に取り憑かれていたところですが、考えてみれば仕込みを実際に見たことはない。この好機を逃す手はありません。製造部の新垣喜彦係長に工程をご案内いただきました。
いつもは写真撮影NGなのですが、今回はめでたい蔵祭りということで特別にご許可をいただきました。ちなみに新垣さんは泡盛マイスター(こんな資格があるんですな)の第225号だそうです。
泡盛がタイ米と黒麹から造られることは知っていましたが、沖縄の生産者が共同で一括仕入れをし、それを分配して仕込んでいることは知りませんでした。タイ側の生産農家を指定することはできず、複数の農家のコメがゴッチャになって送られてくるのです。
つまり各泡盛生産者の原料はイコールコンディションということになる。風味の差を出すのは、生産者の腕次第、というわけです。これは面白い。
上の写真、新垣さんの後ろにある大きなドラム上の機械は洗米、浸漬、蒸米をおこなう装置です。この中に原料となるコメを入れ、洗濯機のようにグルグル回りながら水で糠が洗い落とされ、その後に水に浸けてコメに水分を含ませます。十分に水を吸わせたら、余分な水を切って、大量の蒸気で蒸し上げる、というプロセスです。
ドラムの中はこのようになっています。真ん中の軸の部分は固定式で、蒸気が噴き出します。
これは貴重な動画です。米麹と酵母とコメを合わせて仕込み容器に入れて発酵しているところです。発酵温度が上がりすぎてはいけないので、容器は水冷式になっています。
同じコメを原料としていても、ここが泡盛と米焼酎の一番の違いです。泡盛は原料のコメのすべてを麹にして、そのまま発酵させる「全麹仕込み」。米焼酎は、麹を発酵させる段階で芋や麦やコメを入れる二次仕込みがおこなわれるのです。芋焼酎も麦焼酎も、多くの焼酎の麹はコメから造られています(中には芋麹を使っている芋焼酎もあります)。
「こっちはあまり見せたくないのですが……」と言いながらも、サービス精神旺盛な新垣さんがチラ見させて下さった、蒸留工程へ回る直前の仕込み。ここで何日寝かせるかは……ヒミツです(笑)。
泡盛は15世紀に琉球王朝と交易のあったシャムから伝わった蒸留酒です。原料は大昔から変わらずタイ米を使用している。その技術が後に九州に伝わって、「焼酎」として発展していったのだそうです。泡盛は、言わば焼酎の大先輩に当たるわけです。
こちらは蒸留器です。いまひとつスケール感が出ていませんが、驚くほど大きいです。
同じ泡盛でも、「泡の収まり」がアルコールの度数によって大きく異なることを実証する実験です。瓶に入れてシェイクすると、両方とも真っ白に泡立つのですが、度数の高いほうはたちどころにその泡が収まってしまう。低いほうはいつまで経ってもシュワシュワしています。その昔、アルコール度数測定器などなかった時代には、高い位置から小さな猪口に泡盛を注いで、その泡を見て度数を推測したのだそうです。そしてそれが「泡盛」の語源にもなっていると。なるほど勉強になりました。
アルコール度数を見分ける実験です。度数が高いと泡がすぐに収まります。
というわけで新垣さん、お世話になりました。ありがとうございました。
お次は米海兵隊のキャンプ・シュワブです。米軍普天間飛行場の移設に伴う新基地建設で物議を醸している例の基地です。
この土日はキャンプ・シュワブ・フェスティバルという基地開放デー。これは、オスプレイや輸送車両の展示がおこなわれ、基地内の売店で買い物もできるイベントなのです。
こちらMTVR。消防車や建機なども手がける米オシュコシュ社製の6輪駆動トラックです。
うーん、デカい。今回特集しているハイラックスもデカいですが、これはケタが違う。
車内のプレートには7トン仕様と書いてありますが、これはオフロードを想定したもので、舗装路ではその倍まで積めるそうです。普通に大型トラックです。
飾り気のないステアリングホイール。運転はさせて……くれませんでした。ただ座っているだけです。
げ……いい気になってヨタを飛ばしていたら結構な文字数になってしまいました。
オスプレイを含め、秘蔵写真がたくさん撮れたのですが、それはまた別の機会に。
そろそろ本編へとまいりましょう。
13年ぶりに本土復帰……じゃなくて国内販売が再開されたトヨタハイラックスの開発者インタビューです。
インタビューは水道橋にあるトヨタの東京本社会議室でおこなわれた。
お話を伺うのは、ハイラックスの開発を統括した、トヨタ自動車 新興国小型車カンパニープレジデントで常務役員の前田昌彦さんである。
F:はじめまして、フェルディナント・ヤマグチと申します。今日はよろしくお願いします。
前:こちらこそよろしくお願いします。いや、お噂はかねがね……。素顔を見るのはこれが初めてですが(笑)。
F:どんな噂だろう。まぁ、いい話じゃないですよね(苦笑)。
マイトのY:(心の中で:当たり前でしょ。あんたが今まで重ねてきた悪行の数々を思い返してご覧なさいよ。いい話が出るわけない)
前:会社にお勤めと聞いているのですが、会社の方は知っているのですか? なんと言いますか、その、フェルさんとしての活動というのは。
F:ああ、私の執筆活動のことですか。
マイトのY:(はぁ? 執筆活動? ふん。ものは言い様ですね。飲んで遊んで適当に書き流して、それが執筆活動ですか。こいつぁ恐れ入りました)
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実は当日の朝までに必ず出稿すると宣言していた原稿が大幅に遅延(というか、まだ一行も書いていない)しており、しかも朝まで飲んでいたことがバレており、Yはのっけから非常に機嫌が悪いのである。Yさん、怒ると健康に悪いですよ。笑顔笑顔(笑)。
F:会社のトップには伝えてありますが、他の社員は知りません。
前:本当に隠密行動なんですね。
F:そうなんです。秘中の秘です(笑)。それでは早速お話を伺います。2015年に11年ぶりのモデルチェンジをおこない、そして昨年、13年ぶりの国内販売復活を果たした8代目ハイラックス。1週間お借りして、タップリ試乗をさせていただき、その乗り心地を存分に味あわせていただきました。
行けるのかと言われたら、間違いなく行けます
前:確か志賀にスキーに行かれたんですよね。いかがでしたか?
F:拍子抜けするくらいに乗り心地が良かったです。正直、こんなに乗り心地が良くて、岩がゴロゴロ転がっていたり、ドロドロに泥濘んでいるような場所に行けるのかしら、と訝しく思うほどでした。
前:ありがとうございます。行けるのかと言われたら、それは間違いなく行けます。
F:行ける。
前:行けます。もうバリバリに行けます。
F:そうしたタフなクルマ造りに関しては後ほどたっぷり伺うとして、まずはこのクルマの背景について聞かせてください。ハイラックスは、今回のモデルで8代目になるのですね。
前:はい。ちょっと話がややこしくなるのですが、7代目になったときに、日本での生産と販売を止めて、要はグローバル生産とグローバルマーケットに出していく、というモデルに変わりました。日本では7代目を飛ばして8代目の販売となり、13年ぶりの復活、ということになります。
F:どうしてそうしたのでしょう。要は「売れる場所で直接造りましょう」ということですか。
前:基本的にはそうです。6代目が終わる2004年に7代目を出したのですが、その当時はまだエコカーのハシりがちょっと来たぐらいで、SUVも今のように盛り上がっていなくて、ミニバンのブームがちょっと来るのかな……ぐらいの感じで、クルマの市場は混沌としていた時期なんです。お客さんからすれば、「次は何を買ったらいいんだろう?」と悩んでしまうような時代でした。
ですので、そんな時に趣味性の高いピックアップトラックを日本で出しても、もう全くウケけないだろうと。実際に、6代目の末期は国内販売台数もそんなに出ていなかったですし。
F:先々代の末期は、日本ではもうほとんど売れていなかった。
前:売れていないですね。6代目の最後はもうダメでして。時期としては、SUVのブームの兆しがホンの少し、チラッと見えてきたくらい。
F:SUVのハシり、というのは、どこから見たらいいのですか。
高橋マンちゃん:一般的には初代ハリアーといわれていますね。
前:日本だとそうですね。
F:ハリアーは既に出ていましたか。
前:出ていました。ハリアーは1997年にデビューだから、ハイラックスの7代目が出るころには、既にハリアーの2代目が出ていたはずです。
F:それなりに売れていたのですか。ハリアーは。
前:それなりに……というか、キッチリ売れていました。あれが高級クロスオーバーSUVの巨塔のひとつ、という感じで存在していましたから。
マンちゃん:高級クロスオーバーSUVの路線は、ハリアーの成功がキッカケと言っても良いくらいですよ。
F:なるほど、キッチリ売れていた。ですが同じ四駆と言っても、ハリアーはハイラックスの対極にあるクルマですよね。
前:そう、対極です。ランクルとかハイラックスというフレームを使ったクルマと、モノコック構造のSUV。同じ四駆でも意味合いがぜんぜん違う。クロスオーバーSUVは、よりファッショナブルで、もうちょっと実用的なクルマ、という位置付けになります。
F:街で乗ることが前提で、アーバンなイメージ。
日本では死にゆくクルマだったハイラックス
前:そうそう。正に「アーバンな」というイメージの方にシフトしかけている頃だったものですから、このテの、ハイラックスのようなクルマは逆に「死にゆくクルマだよね」、という見方をされていました。
F:ラダーフレームを使った本気のクロカン車は、もはや“死にゆくクルマ”……。国内ではそうかもしれませんが、海外では悪くなかったのでしょう?
前:ええ。実はハイラックスはずっと海外で(売れ行きが)良かったんです。
F:6代目も7代目もずっと良かったですか。
前:6代目も良かったですが、7代目で飛躍的に伸びました。それはもう我々もびっくりするぐらいに伸びました。というのも、7代目ハイラックスで、IMVという企画を始めたからなんです。
F:IMV、ですか?
前:そう。IMV。Innovative International Multi-purpose Vehicle(イノベーティブ・インターナショナル・マルチパーパス・ビークル)の略です。
F:ああ、今で言うTNGAみたいなものですね。
前:TNGAとはちょっとニュアンスが違います。IMVはプロジェクト名です。それまでのトヨタの海外生産は、日本で既に造っているモデルの経験を踏まえて展開していたんですね。でもIMVは、日本は企画だけして、それ以降はすべて海外でやっちゃおうというプロジェクトです。ピックアップトラックと、それからピックアップトラック派生で造ったSUVと、ラダーフレームを上手に活用して造ったミニバンと……ちょっとこれはイメージしにくいかもしれませんが。ミニバンもあるんですよ。
F:うーん、たしかにピンと来ませんね。例えばあれ、アメリカで売っているフルサイズのピックアップ……タンドラでしたっけ? あれもそのIMVの群に入るのですか。
前:あれは入りません。今申し上げたのはあくまでもハイラックスを起点にした派生群です。昔で言うと、ハイラックスとハイラックスサーフ。最初はそこから始まりました。後にはそのフレームを使って、イノーバというミニバンも造りました。
ハイラックスが特に良く売れた理由のひとつは、税制の恩典があったからです。例えばタイでピックアップをベースにSUVを造ると、普通のSUVは税金が30%ぐらい掛かってしまうのが、12%とか15%くらいになるんですね。つまり、安く買える。
F:実際は乗用で使うのだけども、扱いは商用車になると。
前:その通りです。タイ政府からすると、自動車産業を振興させるためのひとつの税務恩典というわけです。要はタイでいっぱいクルマを造ってもらおうと。いっぱい造ってもらえれば、人もたくさん雇えるし、やがてはサプライヤーの企業も成長するし、良いことずくめです。これはウチだけじゃなくて、ほかの日本の会社さん、例えばいすゞさん等の自動車メーカーも、同じように税制を活用しています。
F:なるほどなるほど。7代目ハイラックス躍進の背景には、クルマの実用面もさることながら、税制の恩恵も多分にあった、と。
前:実際にタイではピックアップを本当に乗用車のように乗りますからね。ほかのマーケットではそこまでマジョリティを持つ車種群ではないのですが、タイでは完全にマジョリティなんですよね、ピックアップって。
F:ってことは、向こうでは普通に荷台に人が乗っちゃうわけですか。
前:ああもう、全く普通に乗っちゃいます。労働者が仕事の行き帰りに乗ったりもしますし、タイのソンクラーンというお祭りのときには、荷台にワーッと人が乗ってそこから水を掛け合ったりしています。本当にタイのカルチャーの中に浸透しているんですよ。
※タイのピックアップシーンを視察するために、5月の連休はバンコクに行こうと思います。読者のみなさま、どこか面白いところがあれば教えて下さい。
F:アメリカ人もピックアップが大好きですが、タイの人もまた違う意味でピックアップが好きなんですね。
前:そうそう。僕らもいまだによく分からないのですが、アメリカ人にとってのピックアップは「スピリット」だというんですね。馬車から派生してきたスピリットだと言われています。
F:なにしろ一番売れている乗用車が、フォードのF-150というお国柄ですから。
いや、本当にたまたまです
前:実際にたくさん重たいものを載せるわけでもないですし。街の人はほとんど空荷で乗っていますし、やっぱりスピリットで乗っている部分って、本当にあるのだろうなと思います。日本人にはちょっと理解し難いところですよね(笑)。まあアメリカの話はともかく、2004年にIMVをスタートさせたときの全体の企画台数って45万1000台だったんです。その前は30万台ぐらいのビジネスしかしてなかったところにですよ。
F:いきなり1.5倍ですか。すごい目標ですね。
前:そう。それが2004年から一気にダーッと上がっていって、2012年の段階では最大で111万台まで伸びたんです。45万の企画が、111万台まで伸びた。これはもうマーケットが大きくなったということ以外に考えられません。新興国の経済が、それだけガッと伸びていった、ということです。
F:それじゃ、IMVが伸びたのは「たまたま当たった」、ということですか。
マイトのY:ああ! なんてことを……。前田さんスミマセン。何しろ躾のできていない野犬のような男でして。あとでキッチリ指導いたしますので……。
前:いや、本当にたまたまです。
F:こういう企画にしたからよかったんだ。だから売れたんだ、というのではなく。
前:ではなく(笑)。正直に言いますけど、本当にそういうことじゃなくて、たまたまなんです。
F:あはははは。正直すぎる(笑)。聞いたかよY。前田さん御自らが「たまたま」とおっしゃったぞ。
マイトのY:それはご謙遜というものでは……。
前:当時は新興国のマーケットがそれだけワーッと伸びたんです。だから売れたんですよ。
美人すぎる市議とか、美人すぎる女流棋士とか。少し前に「◯◯すぎる」シリーズが流行りましたが、ここで新ジャンルの登場です。「正直すぎるエンジニア」(笑)。
横に座る広報の方は、机の上で静かに手を組み小刻みに震えながら俯いています。お疲れ様です。主よ、西川秀之広報主幹にご加護を。
それではみなさままた来週!
こんにちは、AD高橋です。
ハイラックスはタイ、オーストラリア、南アフリカ、ブラジルなど多くの国で生活に密着したクルマとして選ばれています。
一方で、ピックアップトラックを語るうえで外すことができないのがアメリカ。2017年のアメリカの新車販売台数ランキングを見てみると
- 1位 フォード Fシリーズ(89.6万台)
- 2位 シボレー シルバラード(58.5万台)
- 3位 ダッジ ラムピックアップ(50万台)
と、ベスト3はピックアップトラックに。アメリカの道を走っていると、本当に多くのピックアップトラックとすれ違います。しかもアメ車のピックアップ(とくにフルサイズ)はラグジュアリーなのが特徴。これに乗って荷台にバーベキューセットなどを積んで遠出をしたりするのでしょうか(アメリカでピックアップトラックに乗ったことがないので、完全に想像ですが)。
トヨタはアメリカで、2種類のピックアップトラックを販売しています。どちらもハイラックスとは全く違う雰囲気でカッコいいんですよね。今回は米国トヨタの2種類のピックアップトラックを紹介しましょう。
1999年に製造が始まった、トヨタのフルサイズピックアップトラック。現行型は2014年に登場した3代目で、ダブルキャブと、後席を広くしたクルーマックスがあります。荷台(ベッド)は標準とロングが。エンジンは4.6L V8と5.7L V8に。価格は3万1120ドルからになります。
1995年から製造が始まった、トヨタのミドルサイズピックアップトラック。現行型は2016年に登場した3代目で、4ドアのダブルキャブと2ドアのアクセスキャブがあります。また、スポーツ性を高めたグレードも用意されています。エンジンは2.7L直4と3.5L V6に。価格は2万5200ドルからになります。
試練をクリアして“スピリット”を手に入れたタンドラ
これらは正規輸入はされていませんが、並行輸入しているショップがあります。タンドラは日本でもアメリカンピックアップトラックファンからの人気も高くなっています。私も一度だけショップから借り出し撮影したことがありますが、その大きさに圧倒されました。でも高速道路のクルージングは最高に気持ちが良く、2000回転いくかいかないかくらいのところで船のようにゆったりと走ることができます。今どき5.7Lエンジンを積んだクルマなんてなかなか乗れませんからね。この感覚、一度は味わってみてほしいです。
ちなみに本編で前田さんが「アメリカのピックアップは『スピリット』だ」と話していましたね。私もその感覚を完全に理解できていませんが、本当にピックアップはスピリットであり、アメリカ以外の国のピックアップは邪道というのがあったそうです。
そのため、初代タンドラはフルサイズながらアメリカのピックアップより微妙に小さく造られたのだとか。
そんなタンドラも現在はアメリカ人に認められ、ビッグ3のピックアップトラックと対等に扱われています。そこにはタンドラがある偉業を成し遂げたことが関係しています。
1981年から2011年まで実施されたスペースシャトル計画はみなさんご存知でしょう。計画終了後、スペースシャトル「エンデバー」はカリフォルニア科学センターに展示されることになりました。輸送は輸送機と台車で行われましたが、最後に難所が待ちうけていたのです。カリフォルニア科学センターの手前にはフリーウェイを越える橋があり、シャトル運搬用の台車とシャトルの重さが橋の耐荷重を超えてしまったのです。
そこでシャトルを軽い台車に移し、クルマで牽引する計画が浮上。その大役をタンドラが務めることになりました。タンドラの牽引荷重は約4.5トン。シャトルと台車の総荷重は136トン。普通に考えれば不可能なミッションですが、なんとタンドラはこのミッションを見事にやり遂げました。
アメリカの栄光の象徴であるスペースシャトル。それを牽引するという偉業を成し遂げたことにより、タンドラはアメリカンピックアップトラックの一員として迎え入れられたと言います。
この記事はシリーズ「フェルディナント・ヤマグチの走りながら考える」に収容されています。WATCHすると、トップページやマイページで新たな記事の配信が確認できるほか、スマートフォン向けアプリでも記事更新の通知を受け取ることができます。
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