みなさまごきげんよう。
フェルディナント・ヤマグチでございます。
先の週末はまことに得難い体験をして参りました。世界最高級の超弩級SUV、ベントレーのベンテイガに乗って二泊三日のスキー旅行に出かけて来たのです。
これが噂のベンテイガ。デカいです速いですそして高いです。しかしベントレーもSUVを出す時代になりましたか。隔世の感がございますね。
無論ベントレー社が遊びで出かける泊まりがけのスキー旅行にホイホイと試乗車を提供してくれる筈もなく、“夜の愛知県知事”としてその名も高い、S先輩が個人所有されるクルマに乗ってのショートトリップであります。待ち合わせの場所に現れたS先輩。キーをポンと投げ渡し、「往復ともフェルが運転してくれよな」と。ええそりゃもうお任せ下さい。市街地から高速道、更には雪道までイッキに走れるだなんて、こんな貴重な経験は滅多に有りませんから。
「目立つのはイヤだから」と仰る夜の愛知県知事。かくして二人揃ってボカシ入り、という謎の記念写真と相成りました(笑)
2.35トンのボディを軽々と走らせる608馬力の6.0L W型12気筒ツインターボ。フォルクスワーゲンのVR6というV型エンジンを、二個並列にドッキングさせた巨大なエンジンです。V型が横に並んでいるからW型なんですな。
このエンジンは、アウディA8やフォルクスワーゲンのトゥアレグに載っているのと基本は同じものです。最高速度は301km/h。わたくしはヘタレなのでそこまでは怖くて試せませんでした。スタッドレスですしね。
タイヤサイズは285/40ZR22。こんな巨大サイズのスタッドレスは国内に存在せず、わざわざ欧州から取り寄せたのだそうです。そもそもこのクルマでスキーに行く人はあまりいないでしょうし。
ベンテイガは同じフォルクスワーゲングループのアウディQ7と同じ、MLB Evoプラットフォームを使用しています。巨大なQ7よりも更に大きなボディですが、下を覗いてみるとこれこの通り……。
アウディ印のステッカーが貼られております。このように部品を共有しているのです。言うなればQ7とは「兄弟車」ということになるのですが、ブラザーを名乗るには余りにも生い立ちが違い過ぎましょう。
荒れた雪面をグイグイと踏み潰して走り抜ける、ピステンもかくやの走破性。高速ではピタッと路面に吸い付くようで、SUV的な腰高感など一切有りません。しかしまあよくもこんな桁外れのクルマを作ったものです。
日本市場に対する初年度の割り当ては80台。それらはごく短時間で売り切れたのだそうです。お値段たったの2739万円。S先輩の車両はあれやこれやのマシマシ仕様で3300万超。いやはや、お金持ちというのはいるものです。
何と申しますか……雪の上でもベントレーはベントレーです。運転するだけで自分がお金持ちになったような錯覚に陥ります。
複数のクルマを所有されるS先輩。納車はされたものの、巨大なSUVの出番は今のところ少ないようで、「俺はあんまり乗らないからさ、フェルが好きな時に好きなだけ乗っていいぞ」と仰って下さいます。どこかのアナウンサーじゃあるまいし、そんな恐ろしい真似などとても出来ません。お気持ちだけ有難く頂きます。とまれ、来シーズンもまたご一緒致しましょう!
素人写真では上手く表現できませんが、ここ、結構な斜度の坂道です。歩くのも大変な坂をグイグイ登って行きます。今シーズンのスキーはまだまだ続きます。
そうそう。以前、ヨタで紹介したクボタの取材、既に記事が公開されています(「クボタの新製品展示会に潜入」)。ちなみにサブタイトルは、「自動車評論家フェルディナント・ヤマグチ氏、ついにトラクタも乗りこなす?」です。本連載では農機は扱ったことがないので、一度やってみましょうか?どこで"走らせる"かが悩ましいところですが。
さてさて、それでは本編へと参りましょう。
NISSAN GT-R 2017年モデルの開発者インタビュー続編です。
衝撃的なデビューから10年が経過したNISSAN GT-R。様々な憶測を呼んだ名物チーフエンジニアの交替からも既に4年である。伺いたいことは山ほどある。
最新のGT-Rは前と比べて何が変わったのか。変わった理由は何か。そして、GT-Rはこれからどうなるのか。
インタビューの直前に、開発エンジニア、日産自動車ニスモビジネスオフィス兼第一商品企画部チーフ・プロダクト・スペシャリストである田村宏志さんに海外からの緊急連絡が入ってしまい、はじめの30分は開発メンバーの一員である柳井さんが対応してくださった。そして前号(「その時代にできるギリギリのところまでやる」)では、その柳井さんからのお話“のみ”をお伝えした。
記事が公開された先週の月曜日、クルマで会社に向かう途中、田村さんから電話が入った。記事には問題点が二つ有ると言う。
一つ目は、“水野GT-Rは硬く、田村GT-Rは柔らかい”という表現だ。「そんな単純なものではない。水野さんは全てのシーンを1台でカバーしようという”オール・イン・ワン”の発想。この田村は、シーンによって異なる味付けのクルマを用意する”使い分け“の発想だ。だからこそ基準車の他に、ガチガチに固めたトラックエディションと、更に高馬力のNISMOがある」、と。
そして二つ目は、「“点から線へ、そして面へ”。という表現は、2017年モデルからではなく、田村に開発がバトンタッチされて以降ずっと主張していること。これはウチの柳井の勘違いで、プレゼン内容が間違っている。彼には後でキッチリ言っておくから」、とのことだった。
田村さんはお話をしていると、「キッチリ決める」と「アタマを取る」というワードを頻繁にお使いになる。柳井さんがこの電話の後でどのようなお咎めを受けたのかは知る由も無いが、田村さんは怒ると怖い。怒らなくても目が怖い。柳井さんのご無事を心よりお祈り申し上げる次第である。
「今回3タイプのクルマを用意したのには理由がある」
インタビュー開始から30分が経過した頃、遂に田村さんがやってきた。
「いやぁ悪い悪い。急なテレカンが入ってしまってね。お詫びと言ってはナンだけど、今日はフェルさんのどんな意地悪な質問にもキッチリ答えるからさ。時間はタップリ取ってある」
早速“キッチリ”が飛び出した。田村さんのご機嫌は麗しく、のっけからアクセル全開のご様子である。柳井さんは少し緊張した表情で、“何をどこまで話したか”を田村さんに報告している。フンフンと頷く田村さん。
田村さん(以下、田):もう乗ってもらったんだよね、ウチの子達には。
F:はい。基準車とトラックエディションとNISMO仕様と、全ての車種にそれぞれ1週間ずつ乗せて頂きました。最後のNISMOでは、品川駅前で「違法改造車ではないか」と白バイに止められる騒動までありました。お陰でいい写真を撮ることが出来ましたが(笑)
田:そりゃ災難だったね。でもほら、最近の警察はドライバーの人相を見ているという話だからさ(笑)
F:な……。
田:今回3タイプのクルマを用意したのには理由がある。それはGT-Rの“在り方”そのものを考える上でとても大切なことなんだ。フェルさんには、まずはじめにそれを十分に理解しておいて欲しい。エンジンパワーが上がったとか、ボディが強くなったとか言うことよりも、もっと根源にあるものなんだ。
F:ははあ。開発の根源にあるもの……。
田:そう。そしてこの考え方は、なにも今のGT-Rに始まったことではなく、2001年にGT-Rコンセプトを出した時、そしてR34のM(マチュアー)スペックを出した時から既に始まっている、ということを説明しておきたい。
F:なるほど。よろしくお願いします。
「GT-Rの世界が狭すぎやしないかと」
田:それまでのGT-Rは、スパルタンなイメージばかりが先行していて、筑波のタイムアタックで何秒が出たとか、ゼロヒャク(停止状態から時速100キロに至るまで)が何秒だとか、油っこい世界だけを表現していて、我々としても、そこがウケているのだと信じ込んでいたのだけれど。
F:実際にそうじゃないですか。それこそがGT-Rのアイデンティティで、お客にはそこがウケていたのではないですか。
田:うん。ウケていたのは間違いない。でも本当にそれだけで良いのだろうか。もっと広がりをもたせる必要は無いのだろうか、という自問自答は常にあったんだ。
例えば革シートをはじめとする上質な内装とか、より快適な乗り心地とか。ガチガチでスパルタンで油臭いものだけ、というのでは、GT-Rの世界が狭すぎやしないかと。日産というひとつのメーカーとして、何が高級でプレミアムなのかと。例えば、R33のGT-Rをイギリスで販売しようとしていたとき、「何でシートが本革じゃないの?」とか言われちゃう。
F:そのころの日本のスポーツカーに本革仕様はありませんでしたか?
田:うん。少なくともホットバージョンのスポーツカーでは無かったね。後付でレカロの革シートとか、そういうのはあったかも知れないけど。
F:なるほど。
田:彼らにとっては当たり前のセンスを指摘されて、そうか、やっぱり欧米の人たちにとって当たり前のスポーツカーのゾーンを、我々は正しく表現できていないんだなと。“大人”が乗るためのスポーツにはそういうプレミアム感が必要なんだなと。
R34世代の末期、2001年に発売されたスカイライン GT-R M・spec「大人の感性を刺激し、大人のこだわりをも満足させる、もうひとつのGT-R」を商品コンセプトに開発された。
あ、もちろん革シートは分かりやすい一例で、内装に革を張って上等でござい、などと言うつもりは更々無いからね。ともかくGT-Rもマチュアーな人たちの需要に応えなければいけないだろうと。それがMスペックの発端だった訳でしたと。スパルタンがイコールでスポーツじゃないよねと。
F:それは比較的上の年齢層のマーケットを狙うということですか。
田:Mスペを開発した時に、自分はまだ30代だったのだけど、自分のリタイヤ間際の姿を想像してみた。自分が55歳ぐらいになったらどうなっているだろうと。
そろそろ会社もリタイアだし、体にもあちこちガタが来るだろうし、「自分の人生総点検」みたいな時期が来るわけじゃない。そのときに一緒にいられる相棒みたいなスポーツカーがあったら良いなと。Mはそんなクルマを目指して作った訳。
F:定年間際の人の相棒としてのクルマ、ですか。
「もしかしたら我々の独り善がりだったのではないか」
田:何となくお金に余裕ができて、生活にゆとりがあって、子供も独立して、でも体力は落ちてきて……。いろいろなことを考え合わせたときに、何もガチガチに固めた、バカッ速のクルマじゃなくても良いよねと。
決してクルマが中心の人生じゃない。他にも楽しくて集中できることがたくさんあって、例えばほら、フェルディナント・ヤマグチみたいな奴さ。クルマも好きだけどトライアスロンにも燃えていて、仕事も……あなたがちゃんとやってるかどうか分からないけど……キッチリやっていて、もちろん女の子も好きで(笑)
F:仕事はちゃんとやってます!女の子は……そりゃまあ嫌いじゃないです(笑)
田:そんなフェルみたいなヤツがさ、ガチガチのクルマのヨコに女の子を乗せられる?彼女とどこかドライブに行くのに、これがもうちょっとソフィスティケートされた足だったらな、という思いが有るでしょう。それがマチャアースペックの根幹なんだ。ガチガチの足回り。スパルタンな乗り心地が絶対だというのは、開発陣の思い込みで、もしかしたら我々の独り善がりだったのではないかと。
F:それを30代の田村さんが気付かれたと。
田:うん。30代も終わりのころ。39歳だったね。
F:どうして30代の頃の田村さんがそのような考えに至ったのですか。30代の人間が、55歳のオッサンの気持ちなんて考えるものでしょうか。30代の終わりの頃なんて、仕事の仕方も分かってきて、会社の仕組みも理解できて、社会人として一番勢いが付く生意気盛りの時期じゃないですか。ともすれば、「使えないジジイはさっさと引退しろ」とか本気で思っちゃう頃でしょう。
どうしてそのような考えに至ったのですか。その頃に何か心が折れるようなことが……例えば大きな病気をされたとか……なにか田村さんの身の回りで大きな出来事があったのですか?
田:聞くねぇ。そんなことまで聞くの(苦笑)
F:今日は何でも答えてくださると仰いました(笑)
「自動車会社では、機械専攻じゃない時点で、そもそもヨソモノ」
田:ちょっとカッコ悪い話なんだけど、本当のことを言うと、GT-RとかZの開発をやりたくてこの会社に入ったんだよ。恋い焦がれるわけじゃない。スポーツカーに。
F:自動車会社に入る人は、全員が絶対にスポーツカーに携わりたい。ゴーンさんもインタビューの時に仰っていました。
田:スポーツカーに恋い焦がれてこの会社に就職した。だけど実際に配属されたのは、スポーツカーと何の関係も無い部署でさ。ナントカ研究所みたいなところで、朝から白衣を着て試験管を持って、スポーツカーどころか目の前にクルマすらない環境で、いったい俺は何の会社に入ったんだろう……と思うぐらいのところで毎日生きていた。
あの俺、クルマの開発をやりたいんですけど、と言ったら、君は化学専攻だから、ウチの会社ではこういう研究職をやってもらわないと困るんだよね、と言われてしまって。
F:えー、田村さんはバケのご出身で?
田:うん。おれはバケが専攻。知らなかった?
F:らしくね-(笑)
田:だけど自動車会社では、機械専攻じゃない時点で、そもそもヨソモノなんだよね。だって、機械の人が自動車を設計しているんだから。
F:エンジンの燃焼とか塗装とか、材料もそうか。バケ系のお仕事はたくさん有るじゃないですか。自動車会社にも。
田:有るには有るんだけど、何かちょっと違うよね、というのがある。
さあさあ、田村さんの知られざる過去話まで飛び出して、いよいよ盛り上がって参りました。
GT-Rの開発秘話は次週へ続きます。お楽しみに!
GT-Rと「コミットメント」の"生みの親"
皆さんこんにちは。編集担当のY田です。
生産終了が決定していたスカイラインGT-Rの後継車種としてNISSAN GT-Rをこの世に送り出したのが、カルロス・ゴーン氏。先月、社長とCEO(最高経営責任者)からの退任を発表しましたが、その在任期間は17年にも及びました。
日産の再建に向け、工場閉鎖や系列解体などの大ナタを振るう一方で、部品の共同購買などルノーとのシナジー拡大によって業績をV字回復させたのは読者の皆さんもよくご存じかと思います。就任当初は「コストカッター」として名を馳せたゴーン氏。振り返ると、ゴーン氏がきっかけでよく使われるようになった言葉は、それ以外も幾つかあります。
例えば、某ダイエットジムのCMでも話題になった「コミットメント」。「日産リバイバルプラン」を発表した際にゴーン氏が使い、注目を集めました。
「ダイバーシティ」もそうした言葉の一つ。日産が「ダイバーシティディベロップメントオフィス」という専門部署を設置したのは、今から10年以上前の2004年です。
クルマの世界における「デザインアイデンティティ」も、そうした言葉の一つに加えてもいいかもしれません。着任するやいなや「日産のクルマにはデザインに個性がない」と指摘し、デザイン部門の権限を大幅に強化しました。今ではどのメーカーもデザインに一貫性を持たせていますが、日本での先駆けは日産だったと言えるでしょう。
今回の退任は、IT企業などとのアライアンス強化への注力、間近に迫った仏大統領選挙への対応などが理由だと言われています。日産ではなくグループ全体の「顔」として「つながるクルマ」や自動運転のためのアライアンスを進めるという判断は、自動車産業が今後迎えるであろう変化の激しさを象徴するような出来事なのかもしれません。
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