:まあ給料上げろもそうですが(苦笑)、当時の僕は政策制度をやっていました。

F:それは選挙活動ということですか。大企業の専従組合員って、失礼ながら選挙対策要員というイメージがあるのですが。

:確かにそういうイメージはありますよね。僕はそれに反発があって、本来の選挙の目的とは何か、どういう政策制度を実現したいのか、何のために自分たちの意見を投票行動で示さないといけないのか、ということを中心にやっていました。まだ若かったから、考えも青臭かったんです(苦笑)。

F:当時の支持政党は民社党ですか。

:そうですね。今だと、民主党の古本伸一郎衆議院議員は僕と同期入社です。

F:同期入社。これはまたリアルな。

:選挙って目的を達成するための手段のはずなのに、そこが目的化してしまっていた。僕はそこが好きではなかった。もっと本当のところやろうよ、ということで、例えば日本を変えようという政策制度フォーラムをやったりもしました。

田中さんが専従の組合員として活動していた時期は、ちょうど政権が入れ替わる激動の時代でもあった。1993年8月に日本新党の細川護熙氏が総理になる。非自民、非共産の連立政権の誕生だ。これにて38年の長きに渡り続いたいわゆる「55年体制」は、”いったん”終了する。その後、新生党から超短命の羽田政権が、そして94年6月には、ついに社会党の村山富市氏が総理に就任する。

:今でこそ、組合は立場上政策のことにはあまり触れませんけれども、当時は自分たちが政策の質を変えようとか、生活者主権ということを言っていたんです。それが政権交代につながった、という思いはありますね。

F:細川総理、羽田総理ときて、遂には社会党の村山さんが総理になったのですからね。

:村山さんのころには、僕も組合専従が終わっていたのですが、あのときは本当に、自分なりにすごくいい経験をしたと思っています。達成感もありました。

なかなかFCVの話に入らず申し訳ない。 組合のアジ演説で鍛えられたからだろうか、田中さんの話は非常に面白くグイグイと人を惹き付ける魅力がある。
マツダ地獄ならぬ、トヨタ地獄が始まる予感が……。
トヨタにもこんな人がいるのだなぁ。人の話は聞いてみなければ分からないものだ。

初代ヴィッツのATを担当

F:入社して5年間ATをやって、4年間専従組合員をやって、それからどうされたのでしょう。

:それからまたATをやりました。初代ヴィッツに載せるATです。ヴィッツは割と画期的なクルマだったんです。自分で言うのもヘンですが、ヒットもしましたし、カー・オブ・ザ・イヤーも頂きました。初代のヴィッツは、スターレットの後継だったんです。

F:なるほど。

:スターレットは、グローバルに販売をするという位置づけのクルマではありませんでした。ですがヴィッツはヨーロッパの市場を狙うクルマです。ヨーロッパは、ご存じのように小型車が大変充実している。フォルクスワーゲンのポロとか、オペルのヴィータとか、フィアットのパンダとか、“強豪”と呼べるクルマがひしめいています。そこに真っ向から勝負を挑まなければならない。

F:ヴィッツは向こうではヤリスの名前で売っていますね。

:そうです。で、当時の日本の小型車ですが、正直な話、高速走行の対応が十分ではなかった。日本で走っている分には良いのですが、ヨーロッパでは140~150キロで普通に巡航できなきゃいけないですから。

F:なるほど。確かに日本ではそんなシーンはありません。

:向こうのクルマを買ってきて日本にあるウチのテストコースで乗ったりするでしょう。例えば当時のポロなんて、乗った第一印象は、「なんじゃこりゃ」ってくらいに走らない感じがする。

 だけど同じクルマにヨーロッパで乗ると、全然印象が違ってくる。すごく良いんです。日本のテストコースでは分かりません。やっぱりヨーロッパのアウトバーンだとか、ベルジャン路(石畳路)みたいなところで真価を発揮する、すごく良い車という感じ。

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