厳しく指導しなければならないが、殴ってはいけない。
 いや、素手で軽く殴る程度のことは土俵に生きる男が相手ならあってしかるべきところだが、道具を使って殴ってはいけない。
 すすめられた酒を断るのはもってのほかだが飲みすぎてはいけない。
 番付がすべてだが鼻にかけてはいけない。

 いったいどこの世界の人間が、こんなダブルバインドの中で正しい道を見つけることができるだろうか。

 品格も同じだ。
 何が品格でないのかは、ことあるごとに列挙されている一方で、何が品格なのかは一向に明示されない。

 どんな言動が品格から外れていて、何が品格を裏切ることになるのかについては、いちいち具体的に指摘されているものの、どんな振る舞い方が品格にかなっているのかということは、ついぞ説明されたためしがない。

 とすると、横審の爺さんたちの言う「品格」という言葉に「オレたちにとって都合の良い外国人横綱」以外の意味が宿っているものなのかどうか、私は疑わずにおれない。

 このわかりにくい規範を学び取ることのために思春期から青年期にかけての十数年間を費やしてきた1人の格闘家が、

 「日本人としての正しい振る舞い方の極意は、つまるところウチのためのスタンダードと、ソトのためのスタンダードを使い分けることだ」

 ぐらいな認識に至ったのだとして、いったい誰が横綱を責められるだろうか。

 私は、今回の出来事を「日本人の典型」を学び取ることに懸命でもあれば、その道で最優秀でもあった青年が、結果として「最も日本人らしい逸脱」をやらかした結果、日本人であることから排除された事件として記憶の底に沈めようと思っている。

 もし大相撲が立ち直りたいなら、オープンでフェアなレギュレーションを取り入れたうえで、アルファベットの「SUMO」として再出発を果たすぐらいしか道はないと思うのだが、そうなると、それは「相撲」ではなくなる。伝統も美もすっかり跡形もなく消え去ることだろう。

 もうひとつの方法として、スポーツ競技としての作り物の構えや建前をかなぐり捨てて、テレビ放送もやめて、戦前にそうであったような、マイナーな興業として、細々と伝統を繋いでいく道がないわけではない。

 そのためには、相撲協会全体が大幅に減量しなければならない。それが彼らにできるだろうか。
 いずれにせよ、大相撲の未来はあんまり明るくないと思う。

 相撲の興業を「場所」と呼ぶ習慣は、なかなか示唆的だ。
 なぜなら、場所がなくなった時、われわれは存在できなくなるからだ。
 でもまあ、なくなってみないと先のことはわからない。
 個人的には、大相撲は一度 nowhere になってみるべきだと思っている。

(文・イラスト/小田嶋 隆)
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