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 口達者な出演者に囲まれて一斉にまくし立てられたら、私はつい余計なことを言ったかもしれない。

 私が万博の招致に賛成できずにいる理由の半分以上は、言ってみれば自分ながらうまく説明できずにいる不定形の不安に過ぎないからだ。こんな曖昧模糊とした感情を訴えたところで、視聴者に理解できるとは思えない。

 おそらく、多くの番組視聴者は
 「このおっさん、さっきから何をグダグダネガティブなことばっかり並べてるんだ?」
 「おまえが不幸なのはわかったからオレを巻き込まないでくれという感じしかしない」
 「この人はつまり他人がうれしそうにしてることが不愉快だと言ってるわけか?」
 という感じの感想を抱くことになったはずだ。
 そんな役回りはごめんだ。

 私が万博の開催に良い感情を持っていない理由を、すべて並べ立てればそれなりのボリュームになる。
 資金計画の不明瞭さや、カジノとの関連や、国の予算が不当に支出されるかもしれないことに対する疑念は、すでに幾人かの論者が指摘しているところだし、そのあたりの論点については、11月25日の朝日新聞の社説がわかりやすくまとめている(こちら)。

 ただ、私自身が万博の開催を支持しない主たる理由は、もうすこし漠然としたものだ。 
 たとえば、私が最も強烈に反発を感じているのは、万博の招致が決定して以来テレビの画面から流れてくる「空気」だったりする。

 こういうことを言うと
 「空気を理由に反対してるわけか(笑)」
 「さすがエア論客だな(笑)」
 てな調子で私の論拠の曖昧さを指摘する声が湧き上がるはずだ。

 ご指摘の通り、私は、万博の招致や開催そのものよりも、それがもたらすであろう「空気」を懸念している。しかも、その懸念は、エビデンスやファクトとはかけ離れたものだ。
   ただ、思い出してほしいのは、万博を歓迎している人たちが期待しているのも、また「空気」であるはずだということだ。
 万博が語られる時に必ずと言って良いほど使われる「起爆剤」という言葉がこのあたりの事情を端的に物語っている。

 万博に期待する人たちは、万博それ自体の動員や収入よりも、万博の開催を通じてもたらされる「波及効果」や「人心の一新」や「夢」といった副次的な「空気」をあてにしている。ということは、結局のところ、彼らは、本当の狙いである「爆発」は、「起爆剤」としての万博が開催された後にやってくると考えているのである。

 それゆえ、私の憂慮の念も、その万博がもたらすであろう「空気」に向けられている。