日本代表がタイだとかヨルダンあたりを相手になかなか点の入らない展開に苦しむことがあるが、それでも、ここまであからさまに空回りしたゲームは見た記憶がない。

 ボール扱いの巧みさや戦術の練度を見る限り、両者の実力差は素人目にもはっきりしている。おそらく、スウェーデンとイタリアが10回戦えば、8回まではイタリアが勝つはずだ。

 なのに、今回のW杯予選では、その残りの2回の負けと引き分けの分が割り当てられてしまった。

 長く続くサッカーの歴史の中ではこういうこともある。
 あえて別の見方をすれば、こういうジャイアントキリングが起こることもまた、サッカーの醍醐味のひとつではある。そう思ってイタリア国民は心静かに4年後を期してほしい。

 敗因はわからない。
 当然だ。

 強い側のチームが負けたのだから、仮にその敗北に原因があるのだとしても、その敗因はスジの通ったものではないはずなのであって、要するにそんなことは考えるだけ無駄なのだ。

 わからないことに答えを求めるべきではない。
 これはとても大切な心得だ。

 考えてもわからないことの原因を、理由を、無理やりに見つけ出すために、時にわれわれはバカな背理にすがる。そして、その背理が次の敗因を形成したりする。なんとバカな展開ではないか。

 サッカーの世界でも、理不尽な負けが続くと、バカなファンやバカなフロントが理不尽な生贄を求めることがあって、それがためにさらに理不尽な敗北傾向が確定するケースがある。私がサポートしているチームでも、過去にそういうことが何回かあったと記憶している。

 と、間違った敗因を見つけようとすることの有害さを自分の口でここまで言い立てておいて、いまさらこんなことを言い出すのは面映いのだが、ひとつだけ、イタリアの敗因について、いま思いついたことを述べておきたい。無意味でも有害でも滑稽でも、それでもやはり敗因を分析してしまいたくなるのがサッカーファンの愚かさなのだと思って、どうかご容赦いただきたい。われわれは永遠に答えを欲しがる生き物なのだ。

 思うに、イタリアの敗北には、スタジアムの貧弱さがあずかっている。

 テレビでヨーロッパのサッカーを見ていて印象深く感じるのは、イタリアのサッカー場がほかのヨーロッパ諸国のそれに比べて、明らかにショボいことだ。