今回の報道には、同じような決めつけや歪曲が相当な割合で含まれていると私は考えている。

 事件の真相そのものはいまだにはっきりしていない。
 協会には隠蔽の意図があるのかもしれない。
 医者は、誰かの意を受けた立場で発言しているのかもしれない。
 一方の情報の発信者である部屋の親方は、あるいは思い込みの強い人であるのかもしれない。
 当事者の中にはとにかく騒ぎ立てる人たちを鬱陶しく思って話をまとめにかかっている人間がいるのかもしれない。

 いずれにせよ、どういう背景があって何が起こったのかについて、現段階で確定的なことは言えない。
 にもかかわらず、事実がはっきりしていないというこのことが、むしろ報道の総量を拡大させている。

 報道が加熱しているのは、相撲ファンが事態の推移を重大視しているからではない。単に外国人の横綱をめぐる真相のはっきりしない不祥事が、メディアの人間にとっておいしいネタだからだ。

 なぜおいしいのかというと、外国人が日本社会の中で演ずる不適応の物語を娯楽として消費したがる空気がわれわれの中に底流しているからで、私が個人的に抱いている感慨では、その傾向(在日外国人の些細な逸脱を過大に取り上げる傾向)は、日本人の長所や特徴を過大に宣伝して喜ぼうとする傾向と対を為すものでもある。

 われわれは、外国人を憎んでいるのではない。

 しかしながら、外国人が適応に苦しむ独特な文化を持つ国の国民であることに奇妙な誇りを抱いていたりはするわけで、このことは、この国で暮らす外国人を、結果として大いに圧迫しているに違いないのだ。

 実に気持ちの悪い話ではないか。
 話を元に戻す。

 イタリアが最終的にW杯への出場権を逃すことになった対スウェーデンの試合は、テレビで見た。
 90分を戦い切って0対0のスコアレスドローで終わるなんとも重苦しいゲームだった。

 ひとつひとつのプレーやボールの行方よりも、選手の心情や緊張感ばかりが身に迫ってくるこの状況でのサッカー観戦は、スポーツの中継というよりは、災害現場の実況中継を見せられている時の気分に近い。

 トシをとったせいなのか、私は最近、この種の中継がもたらす緊張感に苦痛をおぼえるようになってきている。

 欧州サッカー連盟の公式サイトによると、イタリアのボール支配率はなんと75%だったという。パス数でもスウェーデンの194本に対して712本と、数字の上では、完全に試合を支配している。

 なのに、どうやっても点が入らない。
 見ていて気の毒だった。