《--略--「駆けつけ警護」は、日本の安全保障を巡る独特の概念である。日本以外の軍隊では、作戦上の任務の一環と見なされ、特別な作戦行動に当たらないため「駆けつけ警護」に相当する、特別な作戦運用用語はない。しかしながら、日本の自衛隊は軍隊ではないという建前があることから、その是非について論議されてきた。それは、警護という名ではあるが、実質的には武力を行使する救援作戦に従事することとなるからである。--略--》知恵蔵2015(金谷俊秀 ライター/2015年)※出典はこちら

 自衛隊が普通の軍隊であるのなら、何の問題もない。敵軍の攻撃によって同僚や文官が危険になった場合に、味方を援護し、救出し、敵に反撃するのは、軍隊としての当然の行動であり、それゆえ「駆けつけ警護」という言葉は、そもそも想定すらされない。なんとなれば、駆けつけるまでもなく、軍隊は常に味方を警護し、敵と戦い続けている組織だからだ。

 ところが、自衛隊は、普通の軍隊ではない。
 憲法上の制約から、軍事行動はとれないことになっている。
 当然、武力行使もできない建前だ。
 にもかかわらず、事実として、彼らは、戦地(あるいは危険地域)に派遣されている。

 私は、この、自衛隊の置かれたハムレット的な(あるいは、ドン・キホーテ的な)、あちらを立てればこちらが立たず的な、ダブルバインドの、矛盾にたわめられた立場の苦しさが、この奇妙に屈折した言葉を呼び寄せたのだと思っている。

 軍事行動が取れないにもかかわらず、味方の救援に赴かなければならないという、このあり得ない設定が、新しい不可思議な用語の発明を要請したということだ。
 どうやら、自衛隊は、撃ってはいけない銃を持たされて、前線に走って行くみたいな、どうにも不条理な任務に駆り立てられている。

「火中の栗を拾うのに軍手すら支給されないのか?」
「っていうか、オレらが軍手だってことだよ」
「つまり、使い捨ての手袋ってことか?」
「いや、軍事的手品の略」
「……国防的詐術だな」
「まあ、そう言うなよ。世界で一番優秀なイリュージョンなんだからさ」

 ともあれ、昨年の9月に安全保障慣例法制(安保法)が成立する以前まで、歴代の政権ならびに内閣法制局は、海外にPKO派遣された自衛隊について、「駆けつけ警護」はできないという立場をとってきた。

 これに対して、安倍晋三首相は、安保法案の審議過程の中で
「仲間を見殺しにして良いのか」
 という主張を繰り返してきた。

 内閣総理大臣が口にする言葉として、あまりにも芝居がかったセリフだとは思うものの、まあ、言いたいことはわかる。

 海外でほかの国の軍隊と共同作戦を展開するに当たって

「うちの軍隊は戦闘には参加できません」

 と言わなければならないことは、首相にとって、耐え難い恥辱であるだろうからだ。

 のみならず、安倍ちゃんのわが軍は、つい最近まで「駆けつけ警護」すらできない建前になっていた。つまり

「わが軍は、友軍が危機に陥っても、救援に駆けつけることができません」

 と申し出なければならない状況だったわけで、これは、耐え難い恥辱どころか、同じ前線でカマのメシを食う兵隊の信頼関係を根底からひっくり返しかねない状況だ。早い話、警護にすら駆けつけて来ないような軍隊と、いったいどこの国の軍隊が集団的自衛権のパートナーを組んでくれるのかということでもある。