なにかと評判の映画、「ボヘミアン・ラプソディ」を見てきた。
 素晴らしかった。

 「シン・ゴジラ」といい、「この世界の片隅に」といい、配給側が想定する中高年観客層のリアクションをそのままなぞっているみたいで気恥ずかしくもあるのだが、良かったものは良かったのだからしかたがない。

 今回はその「ボヘミアン・ラプソディ」を見ながらあれこれ考えたことを書く。
 批評をするつもりはない。
 たぶん、クイーンの音楽やフレディ・マーキュリー氏への個人的な思い入れをあれこれ書き並べることになると思う。
 よって、ネタバレの心配はない。どうか気楽に読んでほしい。

 クイーンの音楽にはじめて触れたのは高校生の時だ。
 ラジオ経由で「キラー・クイーン」を聴いたのが最初だったと思う。

 私は、この種の手の込んだコーラスワークを使いまわした多重録音のネタに目がない。
 で、中学時代以来コツコツと続けてきたビートルズのアルバムのコンプリートコレクション活動を一時中断して「シアー・ハート・アタック」を買った。

 神のように崇めていたビートルズのアルバム収集を中断してまでレコードを買い求めたわけだから、相当に気に入っていたということだ。

 もっとも、クイーンのほかにも買わなければならないレコードは山ほどあらわれた。ここから先、私は、デビッド・ボウイやヴェルヴェット・アンダーグラウンドやロキシー・ミュージックあたりの沼地に迷い込んだ。おかげで、最終的にビートルズのオリジナルアルバムをひと通り揃える前に、なんだかんだで100枚以上のLPレコードを買い集める仕儀に立ち至ったのだが、それはまた別の話だ。

 大切なのは、クイーンのうちにある何が、私をかくも深く誘引したのかだ。
 これは、映画の主題につながる話でもある。

 大学に入学したばかりの一時期、私は、幼稚園時代の同級生だったDという男と親しく行き来していた。
 なにかの偶然で同じ大学に進んでいたことが判明して以来、家が近いこともあって、旧交を温めることになった形だ。あるいは、有り体に言えば、大学の空気にうまくなじめていなかった私が、同じように通っている学部のカリキュラムに適応できていなかったDの部屋に入り浸っていたということでもある。いずれにせよ、私は、学校に向かうはずの道すがら、昼間からDの部屋に立ち寄り、だらだらと酒を飲んだり雑誌を読んだりしながら、無為な時間を過ごした。

 そんな折、隣の妹さんの部屋から聞こえてきたのが、「ボヘミアン・ラプソディー」だった。
 一度、その妹さんについて、Dの母親から相談されたことがある。

 「タカシ君は、外国の音楽に詳しいんでしょ?」

 と言いながらお母さんが私に見せたのは、クイーンのコレクションだった。

 「高校生がこういうの聴いてて大丈夫だと思う?」

 と彼女は私に意見を求めた。