……とはいえ、私は、本書を手に入れてしばらくの間、贈呈本や郵便物を積んでおくスペースに放置していた。いつものことだ。どういうものなのか、本は、読まれるべき時期まで熟成させておかないと、うまく読み進めることができない。中には熟成途中で腐ってしまう本もある。悲しいことだが。

 話を戻す。

 『スッキリ中国論』は、冒頭で触れた安倍さんの訪中を機会に、なにかの参考になればと思ってパラパラとめくってみた本のうちの一冊だった。で、これが、実に目からウロコの書籍だった。それでこの原稿を書いている。

 もっとも、本文中の記事のうちのいくつかは、ウェブ上に記事としてアップされた時点ですでに読んでいるものだった。

 書いてある内容についても、すべてがこちらの予断に無い新鮮な知見だったわけではない。前々からなんとなくそう思っていたことが言語化されていたという感じの記述もあれば、ほかの誰かから聞いていたのと似たエピソードもある。

 ただ、こうして一冊の書籍という形でひとまとめに読了してみると、個々のエピソードを知ったときとは、まったく別の印象が立ち上がってくる。

 なんというのか、バラバラに見えていた挿話がひとつにつながって、巨大な物語が動き出す驚きを味わうことができる。自分の中で、長い間打ち捨てられていたいくつかの小さな疑問が、「そういうことか」と、いきなり生命を得て動き出した感じと言えば良いのか、とにかく、上質のミステリーの謎解き部分を読んだ時の爽快感を久しぶりに思い出した。

 私の世代の者は、もともと中国と縁が深い。

 というのも少年期から青年期がそのまま高度成長期で、さらにバブル期が働き盛りとぴったりカブっていた世代であるわたくしども1950~60年代生まれの人間は、中国出張を命じられることの多いビジネスマンでもあれば、取引の相手として中国人とやりとりせねばならない個人事業主でもあったからだ。

 じっさい、自分の同世代には、「中国通」が少なくない。

 直接の知り合いの中にも、中国人と結婚することになったケースを含めて、中国に5年駐在した記者や、中国各地を訪問して工場の移転候補地を探して歩いた経歴を持つ男や、一年のうちの2カ月ほどを中国各地で過ごす生活をこの10年ほど繰り返している嘱託社員などなど、中国と深いつながりを持っている人々がいる。

 それらの「中国通」たる彼らから、これまで、幾度となく聞かされてきた不可思議なエピソードや謎の体験談に、このたび、はじめて納得のいく解答をもたらしてくれたのが、本書ということになる。

 何年か前に、あるメディアが用意してくれた枠組みで中国から来て30年になるという大学教授の女性に話をうかがう機会があった。

 その時に彼女が言っていた話で印象的だったのは、
 「日本人の中国観は良い意味でも悪い意味でも誇張されている」
 「しかも、その中国観は驚くほど一貫していない」
 「理由は、日本人の中国観が、多くの場合、その日本人が交流している特定の中国人に影響されているからで、しかも、その当の中国人は、立場の上下や貧富の別によってまるで別の人格になり得る人々だからだ」

 ということだった。
 つまり、どういうカウンターパートと付き合っているのかによって、日本人の中国人観はまったく違うものになるということらしい。