つまり、犯罪でもなんでもない、私的な交際に過ぎない婚外交渉疑惑が、確たる証拠が提示されていない(同宿の証拠は示唆されていても性交渉の証拠は示されていない)にもかかわらず、商業目的の雑誌で記事化され、推定有罪の人民裁判で裁かれている一方で、犯罪の可能性を強く示唆する複数の証拠を伴った凶悪な事件については、その可能性に言及することさえもがはばかられているわけなのである。

 毎度不思議に思うことなのだが、本当のことなのだからしかたがない。

 うちの国のメディアでは、犯罪でもなんでもない不倫がおいしい記事にされているかたわらで、明らかな犯罪である強姦やセクハラは記事にならない。つまり、些細な逸脱は盛大に断罪され、深刻な非道は見てみぬふりで放置されている。なんとバカな話ではないか。

 もっとも、単純な有名人のスキャンダルがメディアのエサになる一方で、権力を持った人間の性犯罪や性的な逸脱が見逃されがちな傾向は、どうやらうちの国に限った話ではない。

 ここしばらくハリウッドを騒がせている大物映画プロデューサーによるセクハラのスキャンダルを眺めるに、あらためてその感を強くする。高い地位にある人間のセクハラを告発することが、自立するリッチで利発な女が溢れているかに見えるハリウッドの中であってさえ、著しく困難な挑戦だということは、この2週間ほどの間に次々と登場した告発者の面々の豪華さを見ればよくわかる。

 というのも、告発しているメンバーの豪華な顔ぶれは、最初の告発者が声を上げるまでの10年以上の長きにわたって、名だたるハリウッドのセレブ女優や有名監督たちが、いずれもワインスティーン(ワインスタインと表記している人もいるようだが、まだ表記が固まっていないようなので、ここでは現地発音に近いカタカナを採用する)の横暴に黙って耐え、黙殺し、調子を合わせていたことを物語るものであるからだ。

 あれほどカネも名誉も力もある人たちが、それでも他人のセクハラには口出しできなかったことの重さに、暗然とせざるを得ない。

 逆に言えば、最初に猫のクビに鈴をつけるネズミがあらわれれば、後を続くのがそんなに難しい仕事ではないことを、ハリウッドの事件は教えてくれている。

 その、猫のクビに最初に鈴をつける役割を、ほかならぬ当事者である伊藤詩織さん、そして海外メディアの記者諸氏に担わせていることを、自分を含めたメディア関係者は、等しく恥じなければならない。

 オチはありません。
 記者諸君は各自考えてください。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

重すぎてオチも軽口も書けません。
今回は自重させていただきます。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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