というのも、少なくとも形式上は不起訴になっている刑事犯罪について、その疑惑を事実であるかのように書くことは、悪くすると名誉毀損で返り討ちに遭うリスクを伴う一大事だからだ。

 私自身、この文章を書くにあたって、件の元TBS記者については、実名を書かずに「Y氏」という表記を採用している。犯罪の事実関係そのものについても、あえて踏み込んで論じることはしていない。

 というよりも、「なぜ、レイプ犯罪が記事化されにくいのか」という、一歩外した視点で見直すことで、かろうじてこの問題を扱えているというのが実情なわけで、つまりは、誰かの犯罪について文章を書くことは、それほど厄介な仕事なのだ。

 Y氏もそこのところはよくわかっていて、検察審査会の議決が出たタイミングで、

 「今般の検察審査会の判断により、今後は私に関して誤った報道がなされることはないものと期待しております。万が一、私の名誉を傷つけるような報道が引き続きなされた場合には、そちらも法的措置の検討対象となることもご承知おきください。」

 というコメントを発表している(こちら)。

 ほとんど恫喝に近い響きを帯びた言葉だ。

 本人が「恫喝ではない」と言ったのだとしても、聞く方の耳に恫喝として聞こえているのであれば、それは恫喝で、つまりこれは事実上恫喝なのだ。

 コトが深刻であればあるほど、うかつなことは書けない。

 だからこそ、レイプ加害者のような、当事者の社会的生命を跡形もなく消し去ることになる事案については、間違っても憶測まじりの主張や当てずっぽうの推理を書くことはできない。それ以前に、そもそも文字にすることそのものを怖がるのが、文章を書く人間の偽らざる心情であるわけだ。

 レイプについて書かれた当事者は、事実であろうがあるまいが、いずれにせよ必死で抵抗する。

 とすれば、訴訟リスクはもちろん、様々な角度からの反撃を想定せねばならない。

 有名人のスキャンダルは、メディアにとっては良い商売になるネタだ。
 一方、有名人がメディア相手に名誉毀損やプライバシー侵害の訴訟を起こしても大きな対価は望めない。

 仮に裁判で勝っていくばくかの賠償金を取ることができたのだとしても、訴訟の過程を通じて私生活を暴露されるデメリットと比べて明らかに割が合わない。

 だから、有名人は訴訟を起こさない。
 だから、メディアは遠慮なくプライバシーを暴きにかかる。

 そして、だからこそ、山尾志桜里議員の外泊疑惑や、ベッキー嬢をはじめとする芸能人の不倫交際疑惑は、犯罪性が皆無であっても、大々的に報道され、後追いした各種目メディアによる徹底的な社会的制裁が発動されているわけなのだ。