今回は、この伊藤詩織さんのレイプ被害をマスコミが無視する理由について考えてみようと思っている。

 第一感で考えて、一般向けのメディアが、「レイプ」「強姦」「準強姦」といったタイプの言葉の字面や語感を忌避する感じはなんとなくわかる。特に子供を含むファミリー層が視聴する時間帯のテレビは、このタイプのあからさまな出来事を正面から描写する単語を嫌う。

 であるからして、私が子供だった当時から、テレビのニュースは、性犯罪については、単に「乱暴」と言ってみたり、「いたずら」と言い替えたりして、直接の言及を避けてきたものだった。

 現代に至ってなお、状況はそんなに変わっていない。
 ニュースは性犯罪の話題を避ける。

 テレビ画面の中では、レイプは存在しないことになっている。
 というよりも、2時間ワイドサスペンスドラマの中ではわりと頻出単語だったりするレイプという同じ言葉が、報道の番組の中では放送自粛用語になっているということだ。

 報道局所属のご清潔な記者のみなさんは、もしかすると品の無い言葉を使うと放送原稿が汚れると思っているのかもしれない。

 もっとも、そうした一般論とは別に、このレイプ事案に関しては、報道をはばかる独特な理由が介在している。

 その理由は、加害者と目されている元TBS社員のY氏の立場の微妙さから来るもので、なんというのか、実態としては、この人が二重のタブーに守られているということだったりする。

 メディアは知っていることのすべてを記事にするわけではない。
 たとえば、相手構わず喧嘩を売っているように見える週刊誌にも、「作家タブー」があると言われている。

 自社から書籍を出していたり、自分のところの誌面にエッセイや連載小説を書いている作家については、たとえどんなおいしいスキャンダルをつかんでも、それを記事化しない、ということだ。

 このタブーが、業界の仁義を通すための道徳律なのか、あるいは営業上の計算を反映した配慮なのかは、議論の分かれるところだが、ともあれ、どんなメディアにもそれなりのタブーがあるというのは確かなことだ。

 そんな中で、Y氏のケースは、おそらく「同業者タブー」ないしは「記者タブー」に抵触している。