松本氏の一連の発言のうち
「自殺の原因は簡単には決められない」
 という部分については、私自身も、おおむねその通りだと思っている。
「死んだらみんなかばってくれるっていう風潮がすごく嫌なんです」
 という指摘も、鋭いところを突いていると思う。

 実際、WHOがリリースしている自殺報道のガイドラインの中でも、自殺者を過剰にエモーショナル(感情的)に扱うことや、希死念慮を抱いている人間に向けて「死をもって訴えること」が大きな効果を持っているかのような情報を与えることを強くいましめている。

 現状の日本のテレビの自殺の扱いは、松本氏が「嫌なんです」と言っている通り、自殺者を聖人扱いにしたり、「自らの死と引き換えに」伝えたメッセージを過剰に劇的に演出する傾向が強い。

 ただ、決めのフレーズとして持ち出した
「死んだら負け」
 というこの言葉は、松本氏の意図どおりに受け止められないだろう。

 いじめなりパワハラなり経済的困窮なり病苦なりで苦しんでいる人たちが自殺を思い浮かべるのは、「勝ち負け」を意識しているからではない。というよりも、自殺という結末のつけ方がアタマから離れなくなるほどに追い詰められた人間は、そもそも「勝ち負け」という発想そのものを忌避するはずだ。さらに言うなら、「勝ち負け」に代表される競争的な設定にほとほと疲れ果てた結果として死に誘引されている人も少なくないはずなのだ。

 とすれば、「死んだら負けだ」は、希死念慮を抱いている人間を鞭打つ結果になりかねない。

 もちろん「死んだら勝てる」と思って死を意識している人間がいないとは限らない。そういう人間だって、いるかもしれない。そういう例外的な心の強い自殺志願者には、「死んだら負けだ」という言葉がハマるかもしれない。が、そんなケースはあくまでも例外にすぎない。

 「障がいは言い訳にすぎない」と「死んだら負け」を批判した私のツイートには、私が想定していたよりは多くの反論が届けられた。

 反論のツイートのひとつひとつを読みながら、私は、ひと月ほど前の杉田水脈議員の発言を取り上げた原稿の結論部分で抱いていたのと同じ感慨に打ちひしがれていた(こちら)。

 つまり、
《杉田議員の主張は、言葉の使い方こそ無神経ではあるものの、日本の「民意」を代表する言説のひとつだ。
 だからこそ、私は、絶望している。》
 と書いた時と同じように、私は
「障がいは言い訳にすぎない」
 が、
「勇気ある主張を打ち出した素晴らしいポスター」
 で、
「死んだら負け」
 が、
「そこいらへんの腰の引けた言論人が言わない魂の本音で、しかも、苦しんでいる人たちに本当の意味で寄り添っている温かい言葉」
 だと思っている人間が、もしかしたら、21世紀の日本人の多数派なのかもしれないことに思い至って、失望しているということだ。