冒頭の部分で紹介したツイートの中で、私が今回の「障がいは言い訳にすぎない」というポスターの案件をさるコメディアンがテレビ番組の中で発した「死んだら負け」発言と一括りに扱った意図もそこのところにある。
つまり、私個人は
「障がいは言い訳にすぎない」
と
「死んだら負け」
という、この2つの文言は深いところでつながっているひとつの思想の別の一断面だと考えているということだ。
ついでに申せば、先日来、様々な場面で蒸し返され続けている
「生産性のない人たちに税金を投入するのは間違いだ」
と言った国会議員の署名記事とも、根っこは同じだと思っている。
「死んだら負け」発言についてざっと振り返っておく。
これは、吉本興業所属のお笑いユニット「ダウンタウン」の松本人志氏が、14日放送のフジテレビ系「ワイドナショー」の中で漏らした言葉だ。
以下、記事を引用する。
《 -略- 松本人志(55)は、今回の裁判に「こういう自殺の話になったときに、原因をみなさん突き止めたがるじゃないですか」とした上で「正直言って、理由なんて自殺、ひとつじゃないと思うんですよ。いろんな複合的なことが重なって、許容範囲を超えちゃって、それこそ水がコップからあふれ出ていっちゃうんだと思うんです。これが原因だからってないんです。ないから多分、遺書もないんです」と自身の見解を示した。
さらに「これは突き止めるのが不可能で、もちろん、ぼくは事務所が悪くないとも言えないですし、言うこともできないんですけど、我々、こういう番組でこういう自殺者が出てこういうニュースを扱うときになかなか亡くなった人を責めづらい、責めれないよね。でも、そうなんやけど、ついついかばってしまいがちなんだけど、ぼくはやっぱり死んだら負けやっていうことをもっとみんなが言わないと、死んだらみんながかばってくれるっていうこの風潮がすごく嫌なんです」と持論を展開した。「勉強、授業でも死んだら負けやぞっていうことをもっともっと教えていくべきやと」と訴えていた。-略- 》(出典はこちら)
以上の発言には、SNSや掲示板を通じて、賛否の声が多数寄せられたかに見える。
で、それらの反応を受けて、松本氏は、17日に、自身のツイッターアカウントから、
《自殺する子供をひとりでも減らすため【死んだら負け】をオレは言い続けるよ。。。》(こちら)
という言葉をツイートしている。
松本氏に悪気がないことはわかっている。
彼は、自分の発言に悪気がないことを自覚していて、しかも、自らの主張に自信を抱いているからこそ、あえてツイッターで同じ言葉を重ねたに違いない。
しかし、問題は「悪気」の有無ではない。「害意」や「差別意識」や「攻撃欲求」の有無でもない。
われわれは誰であれ、日常的に悪意のない言葉で他人を落胆させ、追い詰め、悲しませ、失望させている。
ましてテレビで発言する有名人の言葉は、本人の意図とは別に、単独のフレーズとして独り歩きをする。
彼を擁護するファンは
「発言の一部を切り取って批判するのは卑怯だ」
という主旨の言葉を繰り返している。
これは問題発言を指摘された側の定番の反論なのだが、実際、一理ある主張でもある。
言葉を切り取られた側が心外に思うのは当然の反応だ。
とはいえ、もともと言葉は、切り取られることによって拡散するものでもある。
とすれば、知名度を持った人間は、公の場所でなにかを言うにあたって、自分の言葉が切り取られた先の結果に、あらかじめ思いを馳せておくべきだということになる。
「こういう言い方をしたら、相手はどういう受け止め方をするだろうか」
と、いちいち考えるのは、たしかに著しくめんどうくさいことだ。が、言論というのは、結局のところ、めんどうくささそのものを指す言葉なのだ。
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