ポスターのキャッチコピーとして採用された杉野明子選手の元発言は、以下のインタビュー記事の中のものだ。
「それまで健常の大会に出ているときは、障がいがあってもできるんだという気持ちもあれば、負けたら“障がいがあるから仕方ない”と言い訳している自分がありました。でもパラバドでは言い訳ができないんです。シンプルに勝ち負け。負けたら自分が弱いだけ」(こちら)
私がこの発言を要約してポスターのキャッチコピーにするのだとしたら、
「パラバドでは障がいは言い訳にできない」
と書くと思う。
なぜというに、杉野選手の発言の主旨はあくまでも
「健常の大会では、自分の障がいを言い訳にしていた私も、(同じ障がい者同士が戦う)パラスポーツの世界では、障害は言い訳にすることはできない」
ということだからだ。
ところが東京都が作ったポスターでは、
「パラバドでは」という前提条件が省略されている。
しかも、
「障がいは言い訳にできない」
という杉野選手自身の言葉を
「障がいは言い訳にすぎない」
と、一段階強い言い方に改変している。
なんとも不可解な「翻訳」だ。
もうひとつ不可解なのは、普通の読解力を持っている日本人なら、誰であれ一見して炎上が予想できる
「障がいは言い訳にすぎない」
というキャッチコピーが、制作段階でチェックされずに制作→印刷→掲出にまで至ってしまった点だ。
この種のPRにかかわる制作物は、通常、ラフ案の検討から最終版下の下版に至るまでの制作過程の各所で、様々な立場の人間の目による複数のチェックを通過して、はじめて完成に至ることになっている。
ということはつまり、誰が見ても炎上しそうなこのコピーが、最後まで無事にチェックを通過したこと自体が、極めて例外的ななりゆきだったと申し上げねばならない。
しかも、あらかじめ炎上上等の鉄火肌で業界を渡り歩く覚悟を決めているやぶれかぶれの集団ならばいざしらず、当該のPRポスターの制作主体は、炎上やクレームを何よりも嫌うお役所である東京都だ。
どうして、こんなトンデモなブツが刷り上がってしまったのだろうか。
私のアタマで考えつく範囲のシナリオとしては、当該のコピーが
「上から降りてきた案件」
だった可能性くらいだ。
たとえば、組織委員会なり、都庁なり、あるいは競技団体なりのボスかでなければその側近、あるいはさらに上の人あたりが、このコピーの発案者であるのだとしたら、これはもう、現場の人間は誰も口を出せない、という状況もありえるだろう。
ともあれ、ポスターは制作され、掲示され、撤去された。
制作過程で何があったのかは、どうせわれわれには明かされない。
私もこれ以上は詮索しない。
ただ、「障がいは言い訳にすぎない」なる文言を大書したポスターが掲出されるにふさわしい空気は、五輪招致決定以来、東京都内に蔓延しはじめているとは思う。
どういうことなのかというと、アスリートを前面に押し出して
「頑張る人を応援する」
という一見前向きなメッセージを発信しつつ、その実、
「頑張らない人」
や
「甘えている人間」
や
「現状に安住している市民」
を攻撃する言説を広めようとしている人々が、各所にあらわれはじめているということだ。
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