新入社員だった高橋まつりさんは、入社年次の浅い社員が多くの場合そうであるように、会社の外にたくさんの友だちを持っていた。退社後にやりたいこともあった。だから、休日をオフィスとは違う場所で過ごすことを切実に願っていた。

 この状態は、信者でいえば、まだ信仰が固まっていない段階に相当する。
 だからこそ彼女は、何年も同じオフィスで過ごしている先輩社員たちのように、平気な顔で残業をこなすことができなかった。

 つまり、去年まで大学生だった新卒の女性社員が、はじめのタスクに緊張しながら、無意味なノルマや、不必要な会議や、待ち時間だけの滞在時間や、社内の上下関係から要請される明確な業務を伴わない帰宅遅延のいちいちに疑問を抱きながら過ごす残業100時間と、オフィス内に自分用のくつろぎスペースを確保し、忙しい時間の中で息を抜く方法にも精通し、一方、社外の友人とはすっかり疎遠になり、休日に出かけたい場所も会いたい人間も思い浮かばなくなっているベテラン社員が、適当に緩急をつけながら柳に風で受け流している残業100時間は、まるで意味の違う時間だということだ。

 会社の水に慣れて、社外の人間との縁が切れて、洗脳が進んで、机に突っ伏して眠ることで疲れの取れる体質を身に着けてしまった後であれば、残業100時間程度の任務は、多くの中年サラリーマンが言うように、楽勝でこなせるようになるのかもしれない。

 カルト教団は、外部の人間から見れば、地獄にしか見えない。が、教団の外の世界を知らない信者は、自分たちの教団を天国だと思い込んでいる。教団の外部にいる私たちは、信者を、心を麻痺させたかわいそうな人たちだと見なしている。が、教団の内部にいる信者たちはと言えば、教団の外で暮らす私たちを、本当の信仰を知らない哀れな人間だと思っている。

 高橋まつりさんは、もしかしたらあの環境に適応できたのかもしれない。

 とはいえ、彼女が通過儀礼としての新入社員の試練を突破して、超絶残業ダイヤで終夜運行する電通トレインに適応していたかもしれない近未来を、私は手放しで祝福する気持ちにはなれない。無論、死んでしまうよりはマシだが、自宅に帰れず罵倒を受け続ける生活に適応することが、若い女性の幸福な暮らしに寄与するようには、どうにも思えないからだ。

 彼女は逃げるべきだったと思う。
 自殺は論外として、退職、せめて無断欠勤ぐらいは試してみても良かったはずだ。

 おっさんたちの中には、自宅で過ごす時間より、会社にいる時の方がくつろげるカタチで完成されている哀れな人間が数多く含まれている。

 彼らは、仕事が終わっても会社に残りたがる。

 会社から外に出たら出たで、帰宅途中のスナックの止まり木にしがみついてでも帰宅を遅らせようと頑張っている。