もちろん、それでこっちの考えが変わるということではない。が、それでも最低限
 「なるほど、こいつはこういう考えなのだな」
 と思って、相手の立場を尊重するぐらいのことはできる。政治的な考えが違うからといって、特に腹も立たないし、絶交しようとも思わない。

 なんというのか、親しい人間同士の間では、政治的な見解の違いは、そばが好きだとか、演歌がきらいだとか、ニンジンが食えないとか、クルマの運転がヘタだとか足がクサいだとかいった、あまたあるその人間の特徴のひとつとして受け容れられる、ということだ。

 それが、社会に出てから知り合った人間だと、政治的に意見の合わない人間の話は、めんどうくさいのでできれば聞きたくないと思ってしまう。

 秘密はおそらくここのところにある。

 つまり、われわれが、もっと普段から政治の話を自然に話し合える人間になれば、政治の話は、タブーではなくなるし、政治的な意見の違いも、決定的な対立につながらなくなるということだ。

 たとえば、音楽の好みや食べ物の好みが、人それぞれ違っていて、自分と他人が同じでないことを、われわれはあたりまえのように、受け容れている。

 自分がそば好きだからといって、誰もうどん好きの人間をこの世界から追放しようとは思わないし、ジャズのファンがクラシック音楽のファンを襲撃したという話も聞かない。

 が、どうしてなのか、政治に関する話になると、われわれは、論敵や政敵を憎み、罵り、時には相手を滅ぼそうと躍起になって運動を展開する。

 これは、われわれが政治に対して未熟だから起こっていることなのだと思う。
 われわれは、成熟することを通して、雨に腹を立てて怒鳴り散らすことがないように、政治についても怒鳴らなくてすむようになる……と良いのだが。

 結論を述べる。
 われわれは、選挙に行けという前に、もっと政治の話をしろと言わなければならない。
 そして、選挙中と言わず、食事中と言わず、どんどん政治の話題を振るべきなのだ。

 もっとも、私自身は、初対面の人間と政治の話をすることの精神的な負荷に耐えられなかったりする。
 若い人たちは、どんどん政治の話をしてください。
 おっさんは、黙って耳を傾けることにします。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

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 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。