21世紀の日本では、憲法であれ、国防であれ、基本的人権であれ、その種の政治的で論争的で知的負荷の高い話題は、できれば公共の場には持ち出さないのが社会人としての基本的なマナーということになっている。

 なぜなら、その種の話題は、その場の空気をよそよそしくし、人々を分断し、対立させ、空気を社交から論争に変えてしまう触媒だからだ。

 逆に言えば、日常の話題として、政治向きの話を持ち出してくる人間は、一般の社会の中では、自動的に
 「めんどうくさい人」
 「目のすわった人」
 「なんかヤバそうな人」
 と見なされることになっている。

 政治向きの話題は、扱いとしては、下ネタに近い分類枠におさめられている。

 ごく親しい、気心の知れた、互いの許容範囲をあらかじめわかっている人間同士が集う内輪のサークル内なら、ある程度政治的な話題を共有してもかまわない。が、初対面であったり、儀礼的な部分を残していたりする付き合いの中にその種の話題を持ち込むことは、食卓で大腸検診の話を熱弁することや、営業会議で昨夜のご乱行ネタをカマすことと同様、場違いで、非礼で、アタマの悪い行為であるとされている。そういうことだ。

 私が長い間投票を無視してきたことも、学生時代に、政治的に過激な方向性を持つ人々に論争をしかけられたりしていやな思いをしたことと無縁ではない。

 とにかく、右であれ左であれ運動であれ選挙であれ、政治には関わり合いたくなかった。
 私は、政治への忌避感情をこじらせていたわけだ。

 若い人たちは、良い意味でも悪い意味でも潔癖で、ダブルバインドを許容することが苦手だ。

 であるから、ふだんは政治的な話題を避けておいて、選挙の時にだけ政治のことを考えるといった調子で自分のアタマを使い分けるような手の込んだ行動基準を自分の生活の指針とすることを好まない。

 必ず選挙に行けというのなら、ふだんから政治的な話題を避けるなと言うべきだし、政治的な話題は控えろというのなら、投票にも行くなというべきだ。選挙に行けという同じ口で、職場で政治の話をするなと言うあなたは狂っている、と、彼らは考える。私には、その彼らの気持ちがわかる。われわれは狂っている。

 わが国の投票率が、先進国の中でもとりわけ低く、その中でも20代や30代の若い人たちの投票率が低迷する傾向にあるのは、単に選挙期間中の投票行動の問題ではない。

 そもそも、われら日本人は政治の話題をきらっている。
 きらっていなくても、明らかに避けようとしている。
 そのことが、投票率の上昇をさまたげている。

 つまり、ふだんの生活の中で、政治的なふるまいを制限しておいて、投票日にだけ政治的な人間になれというのは、そもそも無理筋の注文なのである。

 われわれが政治の話を嫌っている理由は、権力の陰謀だとか、そういう話ではなくて、おそらく、単に、わたくしども日本人が、他人と論争するタイプのコミュニケーションに慣れていないからだ。それほど、われわれは揉め事がきらいなのだ。

 だから、喧嘩両成敗などという奇妙な原則が、集団運営の隠れた鉄則になっている。
 「喧嘩両成敗」によって、争っている当事者を裁く役柄の上位者は、喧嘩をしている両者の言い分を聞こうともせず、どちらが正しいのかを判定しようともせず、とにかく喧嘩をしていることそれ自体を悪だと決めつけて、両者を罰している。

 こんな空気が蔓延している世の中で、誰があえて論争なんかをするだろうか。