このことを口にすると、どういう文脈で言った場合でも、必ずや全面的な攻撃を浴びることになっている。

 「50歳になるまで投票に行っていなかったような無責任な人間がえらそうな口をきくな」
 「百歩譲って、投票しなかった過去があること自体は、個人の自由で、他人が口を出すべきことではないのだとして、あなたのような影響力のある人間が、自分が投票に行かなかったことを誇らしげに語るとはなにごとか。若い人たちへの影響を考えないのか」
 「要するに口だけの人間だということだ」

 まあ、おっしゃる通りだ。

 この件について、いまさら弁解をしようとは思わない。棄権する自由についてあえて議論しようとも考えていない。

 ただ、投票を市民の至高の義務であるかのように訴える人々の高飛車な物言いが、若い人たちの投票意欲をむしろ減退させている可能性については、この場を借りて、ぜひ注意を促しておきたい。

 「投票は社会人としての義務だ」
 「有権者として与えられた政治的な権利を行使することこそが、市民として社会に対峙するための最低限の条件なのである」
 「投票しない市民は演奏しない楽団員と同じでオーケストラにいる意味がないのだから、できれば退場してほしい」
 「投票もしていない無責任な人間に政治を語る資格はない」
 「若年層の投票率の低迷が政治家の若者軽視を促している」

 てな調子の、選挙の度に繰り返される耳タコのお説教は、特段に政治に興味を持っていない人々を確実にうんざりさせている。

 若者に投票を促す人々は、政治に興味を持たない市民を、人として一段格が落ちると考えている人間に特有の調教師じみた命令口調を隠そうともしない。
 聞かされている側としては、話の内容以前に、
 「どうしてそう上からなんですか?」
 というそこのところに反発して、マトモに耳を傾ける気持ちにならない。

 世間の空気がそんなふうに硬直的だからこそ、例の五反田の哲学者は「積極的棄権」などという暴論をあえて持ち出してきたのではなかろうかと、彼の叩かれっぷりに憐憫を感じている私は、ついついそう考えてさしあげたくなるのだが、まあ、あの人は、案外マジであれを言っているのかもしれない。

 だとしたら、それはそれで見事なばかりの空気の読めなさだとは思うのだが、それでもなお、私は、彼の提言を論理と理知の面では全否定しつつ、心情的には、こういう時代だからこそ、ああいう空気を読まない人の的外れの提言みたいなものが必要なんではなかろうかなどと、どうしても、心の一部でそう考えることをやめることができずにいる。

 というのも、政治について、われわれの社会には明らかなダブルバインドがあって、「積極的棄権」という彼の破れかぶれの提言は、そのどうにも欺瞞的な二重基準が言わせたセリフではないかという気がするからだ。

 どういうことなのかというと、私たちは、職場や地域社会や学校のクラスの中で、政治的な意見を控えることを求められている一方で、選挙の時には、投票に行くことを期待されているということだ。

 私たちは、一方で、政治的なふるまいを厳しく制限されていながら、他方では政治的な権利の行使を義務づけられている。要するに、われわれは、二つの矛盾する要求の間で引き裂かれているのだ。