井上尚弥選手は、いずれ、この先1年か2年のうちには、大谷翔平選手と同じく、日本では見ることのかなわない選手になるはずだ。

 というよりも、既に次の試合あたりからは、日本の民放テレビ局が手を出せない、アメリカに本拠地を置くペイ・パー・ビュー(一試合の観戦ごとに料金を請求するテレビ放送)枠のボクサーになっているのかもしれない。

 してみると、このレベルのアスリートは、海外発のニュースで知る方がふさわしいわけで、別の言い方をすれば、井上尚弥選手は、もはや日本のファンにはふさわしくないレベルの存在なのだろう。

 現状でも、しかるべきテレビ局のスタッフが、例によって密着ドキュメント風の「煽りV(ブイ=ビデオ)」を作って、その動画にカブせられる感情過多の檄文調ポエムを、素のしゃべりからして既にシャウトしている専門のナレーターが喉にポリープを作りながら叫び散らすスタイルで売り込みにかかれば、おそらく、井上選手の物語を、視聴率30パーセント超えの扇情コンテンツに仕立て上げることはそんなに難しい話ではないはずだ。

 が、井上選手本人の将来を考えるなら、本場アメリカのメインストリームの視聴者がスーパースター認定を下すまで、われら日本のボクシングファンは、おとなしく固唾を飲んでいた方が良い。というのも、「本物は海を渡ってやってくる」というのが、黒船以来のうちの国のお約束だからだ。

 井上選手の試合を見ながら、私は、20年前に亡くなった自分の父親に、井上選手を見せてあげたかったと思っていた。
 父は、ボクシングが大好きで、強いボクサーを見ている時は、本当にうれしそうな顔をする人だった。

 その父が井上選手のこの1年ほどの試合を見たら、どんなに喜んだことだろう。

 私は、井上選手の父親である井上真吾氏が2015年に書いた『努力は天才に勝る!』という本の書評を書いている。
 その書評の一部を以下に引用する。

《-略- とはいえ、父、真吾氏は、世間が想像するようなスパルタの鬼コーチではない。彼は息子に練習を強要しない。技術を押し付けることもしない。どちらかといえば、父親自身のボクシングオタクとしての情熱に、息子たちが巻き込まれた形に見える。本書の読後感の気持ちの良さはそこにある。仕事の忙しさから志半ばでプロボクサーへの道を断念した父親が、いつしか二人の息子との練習に生きがいを見出して行く姿に、少しも押し付けがましさが無い。読んでいるこっちまで楽しくなる。つまり、天才とは、楽しく努力できる人間を指す言葉だったのであろう。》

 もうひとつ思い出した。

 ずっと昔、父と子と天才の物語を主題に、「コンプティーク」という雑誌に以下のような原稿を書いた。これは、元原稿が手元に残っていないので、記憶から再現する。