ロボット工学の世界では、「不気味の谷」という言葉がたびたび使われる。
 これは、人に似せて作ったロボットが不気味に感じられる傾向を言い表したフレーズだ。
 具体的には、ロボットが人間への類似度を高める過程で、大幅に好感度が下がるポイントを「谷」と呼んでいる。

 たとえば、人との類似の度合いが小さいぬいぐるみのような作風のロボットは、われわれにとって、不気味には感じられない。
 また、実際の人間と区別がつかないほど精巧に作られているロボットの場合も、それほど不気味には見えない。

 ところが、かなりの部分で人間と似ているものの、明らかに生きた人間とは違う特徴を備えているレベルの、「中途半端に似ている」「血の通った感じのしない」「死体のような」「人間からなにかを喪失させた残骸であるみたいに見える」ロボットは、われわれにとって「恐ろしい」「不気味な」「嫌悪感を催させる」対象になる。

 これは人形やCGでも同じで、変に人間味のあるマネキン人形や、ポリゴンの精度が中途半端なゲームのキャラクターは、顧客に好かれないのみならず、特に敏感な人々に恐怖感を与える。

 理由はよくわからないが、起きている現象は、とにかく、中途半端にリアルなものは、人々に不気味さを感じさせるということだ。

 で、思うのだが、原稿を書く人間である私は、「謙虚の谷」とでも呼ぶべきやっかいな現象に苦しめられている気がするのだ。

 どういうことなのかというと、あるテーマについて、ある程度以上詳しくなってしまうと、俄然筆が進まなくなる傾向のことだ。
 私の場合、ボクシングがたぶんそれに当たる。

 ボクシングに限らず、特定の競技の戦術や技術について一定の見識を抱くようになり、内外の主要選手の名前を暗記し、競技の歴史や競技団体の来歴に関してもひと通りの知識を蓄えるようになると、かえってうかつな断言はできなくなることは、実際によくある話だ。
 理由は、自分の持っている知識や見識が、いかにも浅薄であることに自分で気づいてしまうからだ。

 たしかに、私は一般のテレビ視聴者に比べれば、ボクシングをたくさん見ている。知識のレベルも鑑識眼も、それ相応に高い水準だとは思う。
 とはいえ、その私のテレビ由来の知識や情報は、たとえば競技経験を積んだ選手がその肉体のうちに保持し得ている身体感覚から見れば、まさしく児戯に等しいものだ。毎月のようにリングサイドに通って生の試合を見続けているマニアの観戦眼と比べてみても、ほぼ無価値だろう。

 てなわけで、ことボクシングについては、私はもう何十年も前から
「なまじに詳しいだけに、きいたふうなことがいえない」
 状況に陥っている次第だ。

 サッカーについて、ここのところあまり原稿を書かなくなったのも、たぶん似たような事情に関連している。