もしかしたら、私のバカなツイートも、そのバカさゆえに、女性の進出を喜ばない男社会からの不当な弾圧と闘うジャンヌ・ダルクの物語を補強するケチな舞台装置になってしまうのかもしれない。

 この点については、私のツイートに先立つ9月30日の段階で、斎藤環さんがそれとなく指摘している。

«小池さんのすごいところは、彼女に対するいかなる批判もミソジニー色に変換してしまう特殊能力(というか立ち位置)ではないか。もはや反論すら必要ないレベル。こんな強力な楯を手にした政治家に誰が勝てるというのか。»(こちら

 この見方自体をミソジニーとする人々もきっといるはずだ。
 私は、そうは思わない。
 いまのところ、大筋において、斎藤さんの見方に同意している。

 小池百合子氏の政治手法を記録し、批判するのに、わざわざ化粧の濃さに言及した態度は不適切かつ非礼だった。
 この点に関しては、小池百合子さんに対してだけでなく、全女性、というよりも日常的に化粧をしているすべての人々に対して謝罪しなければならないと思っている。
 申し訳ありませんでした。

 誰かが女性であることは、そのこと自体として、批判される理由にはもちろんならない。同時に、批判を控えるべき理由にもならない。つまり、大人として社会の中で生きている人間の業績や言動は、性別とは無縁な基準で評価されるべきだということだ。

 独裁的な手法で部下に対していることや、質問に答えないことや、前言を翻すことについては、男女を問わず、批判されなければならない。そういう意味で、私は小池百合子さんのこの一週間の言動には不信感を抱いている。

 来週の火曜日に迫った公示日までに、小池さんが私のこの不信感を排除してくれることを願っている。まあ、対話してもらえるとは期待していないのだが。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

メイクさんを取材したことがありますが、奥が深い!
化粧は隠蔽ではなくて、主張なのだと思いました。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。