サンフランシスコで暮らす日系米人や、当地に駐在する日本人のビジネスマンやその家族にとって、市有地に建立された慰安婦像がもたらしているあれこれの波紋は、われわれが考えているよりは、ずっと深刻なはずだ。

 ただ、現地の日本人社会の受け止め方は、日本で暮らしているわれわれの見方とイコールではない。
 実際、当たり前だがサンフランシスコであれ、ほかの米国内の都市であれ、日系人と韓国系の米国人は、表立って対立しているわけではない。

 私自身が幾人かの在米の知人から直接に話を聞いた範囲では、当地での東アジア系の住民は、むしろ「肩を寄せ合って」「互いに親近感を抱いて」暮らしている。
 たとえばの話、地元で暮らしている限りにおいて、なにかにつけて張り合ったり排除し合ったりしがちな青森県と岩手県の県民が、東京で暮らすことになってみると、互いに同じ東北人として親近感を抱くようになるといったタイプのお話は、おそらくそんなに珍しい事例ではないはずで、まったく同じではないのだろうが、日韓両国民についても似たような事情はあるはずだ。異国で暮らす2つの隣国の国民は、おそらく、自分たちの国にいる時よりは近しい気持ちを抱いている。いくつかの証言が、それを裏付けている。

 もちろん例外はあるはずだ。特定の事象や問題については、対立する局面もあるのだろうとは思う。
 とはいえ、アメリカの中にいる日本人と韓国人は、互いの差異や食い違いよりも、双方の間にある相似に気付かされる場面が多い。それゆえ、お互いを「なんとなく気持ちが通じ合う」相手として意識している。

 であるから、私は、当地の日本人社会が、なんとしても慰安婦像の撤去を求めているのかどうかを、われわれ日本にいる人間が決めてかかってはいけないのだと思っている。

 案外、彼らは、
 「コトを荒立てたくない」
 と思っているかもしれない。というよりも、
 「めんどうな争いごとはたくさんだ」
 と考えている可能性が高いのではなかろうか。

 実際、サンフランシスコで、慰安婦像に対して対抗的な広告を出したり、反対運動を主導しているのは、日本から当地に向かった人たちだ。
 この点をひとつとっても、この問題が、サンフランシスコの現地住民で争われている事件ではなくて、日韓両国の愛国者の間で争われている代理戦争である可能性は否定できない。

 要するに、争うことで利益を得るのは、当地の人間ではなくて、遠く離れた土地にいて、その争いごとを利用できる立場の人間だということだ。

 サンフランシスコ市議会や市長にとっても、韓国系の市民団体が建てた慰安婦像に、大阪市から問い合わせの手紙が寄せられる事態は、単に想定外の対処しにくい出来事なのではあるまいか。

 彼らにしてみれば、韓国系であれ日系であれ、同じ市民であり税金を払っているアメリカ人だ。
 そのアメリカ人でありサンフランシスコ市民である韓国系の市民が、自分たちの資金で銅像を建てることについて、それを禁じたり撤去を求めることは、市議会にとっても市長にとっても簡単な話ではない。