本来なら、こんな状態で原稿を書きはじめるべきではないのだろう。
 ただ、読者の多くも、混乱だらけの情報源に翻弄されている点では、私とたいして違わないはずだ。
 とすれば、この先、この問題についての議論が野放図に拡散するのか急展開するのか、それとも二極化して泥沼化するのかはともかく、手探りの状態でのとりあえずの感想を書き留めておくことは、無意味ではないはずだ。そう思って、現時点で私の目に見えている景色を記録しておくことにする。

 最初にお断りしておくが、サンフランシスコの市有地に慰安婦像を建てることの是非について、この原稿の中で明確な結論を提示しようとは思っていない。
 私自身、慰安婦像がどんなふうに扱われるべきであるのかについて個人的な見解を持っていないわけではないのだが、それを表明することは控えようと思っている。
 理由は、ごく簡単かつ実務的な次元の話で、つまり、めんどうくさいからだ。

 もう少し丁寧な言い方をすれば、ある事柄について相容れない見解を抱いているふたつの陣営が、その賛否の対象を「絶対に譲れない一線」として決着を争うことは、少なくとも短期的には、双方を消耗させるだけだと思っているということだ。決着を争うよりは、その対立点をしばらくの間棚上げにしておくほうが賢明だ、と、少なくとも現時点では、私はそう考えている。

 だから、これ以上この話はしない。
 吉村市長は、しかし、結論を急いでいる。

 彼は、サンフランシスコ市に何度も手紙を書いては、その都度慰安婦像の問題へのはっきりとした回答を求め続けてきた。
 ご自身も、慰安婦像について明確な見解を明らかにしている。
 つまり、市長は、この問題に決着をつけたいと考えており、その考えに沿って行動している。
 その結果が、この度の姉妹都市解消の決断だったわけだ。

 この問題が勃発した当初から一貫して私が疑問に思っていたのは、日韓両国の間で長年にわたって争われ、いまだに決着を見ていないこのどうにもやっかいな慰安婦をめぐる問題について、一地方都市の首長であるに過ぎない吉村氏が、かくも性急な解決を求めているその理由だ。

 大阪市にとって、太平洋をはさんだ向こう側の都市の一角の慰安婦像が引き起こした問題を解決することが、どんなメリットをもたらすというのだろうか。

 普通に考えれば誰でもわかることだが、慰安婦像の扱いに明らかな結論を出すことは、大阪市政の改善に寄与する事柄でもなければサンフランシスコ市民にとっての喫緊の課題でもない。当然のことながら、姉妹都市として半世紀にわたって交流してきた両市民の歴史を崩壊させてまで解決を急がねばならない問題でもない。

 とすればいったいどうして吉村市長は、この問題の解決に血道をあげているのだろうか。
 不思議でならない。