それが、現在は、出番を失った芸人や、食い詰めた歌手や、汚れ役にさえお呼びがかからなくなった俳優といったあたりの人々が、タレント議員の供給源になっている。忙しい芸人や、売れている歌手は議員になんかならない。オファーがあっても、即座に断っている。

 要するに、昔のタレント議員が、「タレントあがり」(←タレントからの成り上がりの結果としての議員になった人々)であったのに対して、現在のタレント議員は、「タレント崩れ」(タレントから身を持ち崩して議員になった人たち)だということだ。

 で、われわれは、自分たちが、そうやって、長い間、政治家を侮り、蔑み、嘲笑し、いびり倒してきたことの報いを、いま受けている。
 「勝てるか否か」の判断を最優先する政治家は、それを認めてきた我々が生み出したのだ。

 矜持を持った優秀な人間が誰も政治家を目指さず、卑しい人間と、アタマの悪い人たちのポスターだけが路上の風に吹かれる時代を誰が望んだというわけでもないのだろうが、現実に、いま、私たちはそういう時代に生きている。

 このひどい選挙のありさまを眺めている子供たちの中から、もしかしたら、10年後か20年後、日本の政治をなんとかもう少しマシなものに変えるために立候補してくれる若者が出てくれるかもしれないが、それまでの間は、とりあえず、目の前に並んでいる人たちの中から、なんとか最悪でない組み合わせを選ぶほかにない。

 ひどい結論になった。
 候補者の皆さまには、口汚い言い方をしてしまったことを、この場を借りて謝罪しておく。
 あなたたちのうちで最良と思える人に投票するつもりでいるので、どうか勘弁してください。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

世界がどれほど愚かで卑俗にみえたとしてもくじけることのない人、
どんな事態に陥っても、「それでも私はやる」と断言できる人、
そのような人だけが政治への「召命」(ベルーフ)をそなえているのです。
(マックス・ウェーバー『職業としての政治』弊社刊より)

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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