ただ、たしかなのは、与党が政治的な課題について国民に信を問うためにではなく、単に「選挙戦を戦う上で有利だ」との状況判断から解散に打って出たという事実だ。

 彼らは、民進党の体たらく(代表戦のグダグダ、山尾志桜里議員のスキャンダルでの失点、離党者続出の党内不協和)と、小池新党の準備不足(小池氏の都政専念、若狭代表の知名度不足、人材と資金と時間のすべてが足りない党内事情)を横目に見ながら、落馬した敵に斬りかかるようにして選挙戦を仕掛けたわけだ。

 この種の戦術的な状況判断による衆院解散は、少なくとも憲政の常道から外れたもので、議会政党としての矜持を疑わせるに十分な暴挙だったと思う。ついでに言えば、てか、言われ尽くしたことでもあるが、今回の解散は、以上に述べてきた戦術的な選択である以前に、安倍首相個人が国会審議の場で森友・加計問題を追及されることから逃亡するために打ったみみっちい小芝居であり、その意味で、「丁寧に説明する」と言っていたご自身の発言を裏切る振る舞いでもあれば、国会そのものを冒涜するやりざまでもある。「卑怯者」と呼ばせていただいても言い過ぎではあるまい。

 であるからして、私個人としては、いくらなんでもこんなにスジの通らない形で選挙に持ち込んだ側が、その選挙で勝てる道理はないのではなかろうかと、26日の段階ではそんなふうに思っていた。

 が、状況は、たった一日でひっくり返ってしまった。

 二番目に、「希望の党」の話をする。

 この党は、自民党が解散を言い出す前の分析では、「準備不足」「リーダー不在」「人材払底」「若狭は未熟さ華の無さ」「こっちの野田はダメなのだ」「資金不足」「烏合の衆」「小池にはまってさあ大変」「理念不在」「政策不在」と、さんざんな言われようだった。言ってみれば政党以前のバーチャル政治同好会組織に過ぎなかった。

 それが、どういうことなのか、突然「希望の党」という党名を掲げ、のみならず、ほんの2カ月前に「都民ファーストの会」の代表を退くにあたって「都政に専念する」と言っていた小池百合子氏ご自身が、そう言っていた舌の根も乾かぬこの時期に、にわかに党首としてその希望の党を率いる仕儀にあいなっている。

 なんと恥知らずな手のひら返しではあるまいか。

 記者会見で、小池代表は、「アウフヘーベン」「シナジー効果」「リセット」といった不可思議な言葉を散りばめて、自らが新しい党を率いて新たな改革に乗り出す決意を語っていたわけなのだが、少なくとも私は、会見の全文を何度読み返してみても、その中で使われている「アウフヘーベン」や「シナジー効果」や「リセット」が具体的に何を意味しているのを読み取ることができなかった。それもそのはず、これらの用語は、何かを説明するための言葉ではなく、説明を回避するための目くらましであるからだ。

 築地市場の豊洲への移転を発表した時に漏らした「私がAIだからです」という説明の時も同様だったが、この人が目新しいカタカナ言葉や、キャッチーなスローガンを持ち出すのは、聴衆の注意をそらそうとしている時に限られている。

 手品で言うところの「ミスディレクション」というヤツだ。
 マジシャンが、観客の注目を高く掲げた右手のカードにひきつけておいて、その間に左手でテーブルの裏にコインを貼り付けるみたいな、あのやり口だ。

 「アウフヘーベン」や「AI」には特段の意味はない。
 小泉元首相がずっと昔に、説明不能な事態に際して
 「人生いろいろ」
 と言って笑わせつつ苦境を打開してみせた時のあの手法と同じで、要するに、意外な言葉を持ち出して周囲を混乱させて説明をはぐらかしているのだ。

 もっとも、この種の見え透いたごまかしが通用するのは、この人があらかじめメディアを手なづけているからでもある。