今回の騒動が勃発して以来、私のツイッターアカウントには、

 「常々右派論壇を揶揄嘲笑していながら、その右派論壇に接近しつつあった『新潮45』に唯々として寄稿していたオダジマのダブスタにはまったくあきれるばかりだ」
 「仕事にあぶれたロートルが休刊に発狂してて笑える」
 「自分がカネもらって原稿書いてたくせに、他人事みたいに編集長をクサしてるのは、オダジマが少なくとも恩知らずのクソ野郎だということだよな?」

 といった調子の攻撃のツイートが多数押し寄せている。
 雑誌の休刊に類する破局的な結末は、ある種の人々を興奮させる。
 もう少し実態に即した言い方をするなら、雑誌の休刊や著名人の転落にエキサイトするような人々がネット社会のある部分を支えているということだ。

 彼らの共通項は、既存のメディアを憎んでいるところにある。
 おそらく、公式非公式を含めた新潮社のチャンネルには、私のところに寄せられたのよりもさらに辛辣かつ残酷なツイートやメールが殺到していることだろう。

 だが、その種のクレームや中傷や非難や嘲笑は、結局のところ、問題とするには足りない。

 というのも、メディア企業に粘着するアカウントの多くは、つまるところ、自分自身がマスコミに就職したくてそれがかなわなかったいわゆる「ワナビー」であり、同様にして、ライターやコラムニストに直接論争を挑んでくるのも、その大部分はライターやコラムニストになりたかった人たちだからだ。

 彼らは、メディアの中で発言している有象無象の低レベルな論客よりも、自分の方が高い能力を持っていると思っている。にもかかわらず自分に発言の場が与えられていない現実に不満を感じている。だからこそ、彼らは何かにつけて突っかかってくる。

 実際、私のツイッターアカウントやメールアドレスには

 「たいして根拠もないことを書き飛ばしてカネを貰えるんだから、コラムニストっていうのは楽な商売だな(笑)」

 という定番のツッコミが、定期的に寄せられる。
 私は、たいていは無視しているのだが、ときどき、

 「コラムニストは楽な商売なので、あなたも転職すると良いですよ」

 だとか

 「たしかに、才能のある人間にとってコラムニストほど楽な商売はありません。毎度ありがとうございます」

 という感じの回答を返してトラフィックの増加に寄与することにしている。
 彼らは恐るるに足りない。

 むしろ私が恐れているのは、何も言ってこない人々だ。
 何も言ってこない人々というのは、つまり、メディアにも表現者にも憧れを持っていない多数派の、とりわけ若者たちのことだ。

 現在のインターネット全盛時代に先立つ何十年かの間、メディア企業で働くことと、表現にかかわる仕事に就くことは、多くの若者にとっての憧れだった。

 いわゆるマスコミの社員は、高給取りでもあれば合コン市場での勝ち組でもあり、就活戦線でも無敵の人気就職先だった。
 高給取りで狭き門だったから憧れの対象になったのか、憧れの対象だから好遇されていたのか、起こっていたことの因果の順序は不明だが、ともあれ、20世紀の間、メディアは花形の職場だった。