これは、たとえば、トレーダーの世界でも同じだ。

 1秒以下で何百億円というカネが行ったり来たりする場所で勝負をしている彼らの間では「法で許されている範囲内のあらゆる手口を使ってカネを稼ぐのが正しい」ことになっている。

 たとえば、パナマ文書が暴露され、「タックスヘイブンを利用して節税をするのはいかがなものか」的なお話が話題になった折に、堀江貴文氏は

パナマ文書のどこにニュースバリューがあるのかさっぱりわからん。普通に個人として無駄な税金納めないのって普通じゃね?

 と、世間のお花畑な議論を一言のもとに切って捨てている。

 堀江氏に代表される考え方の持ち主は、ストラテジック(戦略的)に振る舞うことを恥じない。

 というよりも、あらゆる場面で自分に有利な選択肢を選ぶのは人間として当然のことで、それをしない人間は、アタマが悪いのか、気取っているのか、でなければものを考えることを面倒臭がる怠け者なのだぐらいに考えている。

 であるから、法律に抜け穴があるのならそれを利用するのが当然だし、人々がよく知らない抜け穴を利用することをズルいと考える人間は、つまるところ自分の馬鹿さを宣伝しているに過ぎない、と彼らは考える。

 対して、信義や原則を重んじるタイプの人間は、そういうふうに見せかけるべく振る舞っている人間も含めて、誰もが分かち持つ義務のひとつである納税について、そもそも抜け穴を探そうとすること事態が下劣であると考える。まして、その抜け穴を利用して、自分だけ徴税を逃れようとするのは、卑怯者じゃないか、と、彼らは述べるわけだ。

 どちらが正しいという話をしているのではない。
 われわれは、局面によって、リアルであることを重んじる場合もあるし、倫理的であることを心がける場合もある。

 サッカー選手としてはあらゆる卑劣な手段を使うプレイヤーでありながら、当局に対しては正直な納税者である人間もいる。その逆の人間もいる。人は様々だ。

 高校生の頃に読んだ『長距離走者の孤独』という小説(アラン・シリトー著)に、「正直さ」についての印象的な独白があったことを覚えている。

 以下、記憶の中からの要約なので、必ずしも正確さは保証しないが、ざっとした内容を紹介する。

 主人公の少年は、少年院で暮らす不良だ。
 その彼の世界に向けた視線が面白い。