河野氏は、森友・加計問題などで野党が首相や政府を糺すために臨時国会の召集を求めていたことに触れ「一度も丁寧な説明をしないで解散するのは理解できない」と述べ、さらに、「権力者の側が都合の良い時に解散する。過去になかったことではないか」と指摘している(こちら)。

 ほかにも、名前を明かさない「党幹部」といった肩書で、解散に対して違和感を表明している人々がいる。

 この種の声を最もストレートに表明している文章は、毎日新聞に掲載されている
熱血!与良政談 乱用どころか暴走解散だ=与良正男
 と題されたコラムだろう。

 以上に示した、教科書通りの反応は、別の見方からすれば、単に「古い」考え方でもある。

 おそらく、私のツイッターに
 「くやしいのう、くやしいのう」
 と書き込んできた人たちの言いたいのはここのところで、彼らにしてみれば、
 「解散権を持っている側が、その解散権を自分たちに有利な局面で使うことの何がいけないのか」
 ということなのだと思う。

 だからこそ、彼らは、この解散に苦言を呈する人間を
 「くやしいのう」
 という言葉で揶揄する遊びを思いついたのだ。

 政権与党を支持しない人々が「議会制民主主義の常識」だとか、「解散の大義」だとかいったカビの生えた原理原則を持ち出してアヒャアヒャ踊り狂っているのは、要するに解散権を持っていない一派がくやしまぎれに理想論を振り回している姿に過ぎないわけで、リアルな政治は、そういうものではないよ、というのが、彼らの本心であるわけだ。

 この考え方の正否は、実は、サッカーファンの間では、すでにほぼ解決済みの問題である。
 最終的な解答は、

 「リアルであるべきだ」

 ということで決着がついている。
 あえて言えば

 「ズルいとか、信義に欠けるとか、スポーツマンシップがハチのアタマとか、そういうガキの運動会みたいなこと言ってたってラチはあかないわけで、とにかく勝つために使える手は全部使うのがリアルなジョカトーレだってことだよ。ゴールのためには、ルール上許されている行為はどんなことでもやってのけるべきだし、審判の目の届いていない場所ではルールからハズれた行為だってあえて断行しなければならない。それがマリーシアってものだろ?」

 ということだ。