• 「暴走解散だ」
  • 「我が逃走解散だ」
  • 「党利党略に過ぎない」
  • 「大義なき利己的な判断だ」

 という批判がある一方で、

  • 「解散は総理の専権事項だ」
  • 「どこにも違法性はない」

 と胸を張る向きもある。
 それとは別に

 「人づくり解散だ」

 という説明もあるにはあるのだが、これは無視して良いと思う。

 私が注目しているのは、今回のような、党利党略に基づいた不意打ちの(というよりも闇討ちじみた)解散を「ずるい」と見なす意見に対して、

 「ずるいからこそ信頼できるんじゃないか」

 という意外な方向から反論を組み立ててきた人たちがいることだ。

 正直な話、私は、政治についてこういう考え方を採用する人々が登場することを想定していなかった。

 私個人は、今回の解散は、タイミングとしても解散理由を説明する手順の上でも「論外」だと思っている。

 が、私がどう思っているのかは、この際、あまり重要ではない。

 私が、本稿を通じて明らかにしたいと考えているのは、「解散にまっとうな理由が必要だ、とする考え方は、果たして有効なのだろうか」というポイントだ。

 実際、今回の解散でも、最終的に問われることになるのはそこのところになるはずだ。

 議会制民主主義の建前を重視した本筋の考え方からすれば、今回の解散は「暴挙」以外のナニモノでもない。

 このことは、自民党の党内から、必ずしも反主流派と言えない人々も含めて、複数の政治家が、解散のタイミングと経緯に疑念を表明していることからも明らかだろう。

 自民党の山本一太元沖縄・北方担当相は、17日自らのブログで、安倍晋三首相が臨時国会冒頭に衆院を解散した場合「内閣改造直後の臨時国会をやらず解散総選挙をやることを国民がどう受け止めるか。ちゃんと説明がないままやったら『国民をバカにしている』と思われてしまう」と懸念を示している(こちら)。

 元総裁であり、河野太郎外相の父親でもある河野洋平氏の見方はさらに厳しい。