杉田論文への批判に再反論してみせた小川榮太郎氏の記事をはじめとする「新潮45」10月号の特集企画の中の記事群が、どれほどちゃんちゃらおかしくて馬鹿げているのかについても、あえてくだくだしく論じようとは思っていない。

 理由は、それらが「反論が論敵の利益になる」ほどに、馬鹿げた議論だからだ。
 以下、「反論が論敵の利益になる」事情について解説する。

 「反論さえもが論敵の利益になる」議論の例として、たとえば、「ホロコーストは存在しなかった」という定番のデマがある。

 この種の、立論の根本のところが完全な虚偽で出来上がっている話題では、発信力のある人間が論争に巻き込まれること自体がホロコースト否認論者の利益になる。というのも、論争をしているということがそのまま
 「ホロコーストの存在には議論の余地がある」
 ことの宣伝として利用され得るからだ。

 なんというのか、本来議論の余地などひとっかけらもありゃしない問題について論争してしまっている時点で、「そこに議論の余地がある」ことを認めていることになるのである。この罠にハマってはならない。

 ホロコースト否認論者や、関東大震災後の朝鮮人虐殺の存在を否定する人々は、機会をとらえてはフォロワーの多いアカウントに議論をふっかけてくる。この種の煽りに乗せられるのは、愚かなリアクションだ。

 彼らにしてみれば、相手を論争に引っ張り込むことができさえすれば、たとえ完膚なきまでにやりこめられる結果になろうとも、一定の利益を享受できる。なぜというに、論争を眺めている見物人の中には、あっさりやりこめられている側に共感するタイプの人間もいれば、容赦なく他人を論破する論者に反発を感じるアカウントもそれなりには含まれているもので、そういう人々を幾人かでも味方に引き入れることができれば、はじめから論争が起こらないよりはずっとマシだからだ。

 話がズレた。元に戻す。
 ともかく、そんなわけなので、杉田論文を擁護している程度の低い論客を相手に議論をすることは、なるべくなら避けたいのだが、それでも、小川榮太郎氏の記事には、一言だけ反応しておく。

 理由は、単純な話、腹が立つからだ。
 いくらなんでも、ここまで低劣だと、読んでしまった人間の感情として黙って通り過ぎるわけにはいかないということだ。

 全編を通じて、性別や染色体や性指向などなど、高校の生物の授業以前の事実誤認がちりばめられていることもさることながら、この人はなによりもまず「性的指向」と「性的嗜好」というLGBTを語る上での、最も基礎的な概念について、きちんとした区別がついていない。

 あるいは、LGBTの人々をあえて「変態性欲」のレッテルのもとに統合するべくこの2つの概念を混同してみせているのかもしれない。

 いずれにせよ、あまりにもレベルが低い。
 特に以下の引用部分はとてつもなくひどい。

《---略--- LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものだというのなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。SMAGとは何か。サドとマゾとお尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなというヤツがいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからです。
 満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保証すべきではないのか。触られる女のショックを思えというのか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどのショックだ。精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく。---略---》(「新潮45」 2018年10月号P88より)