ただ、この種の話を聴く上で注意せねばならないのは、このテの「お話」には、常に「武勇伝」の要素が混入している点だ。

 別の言い方をすれば、ヤクザと交渉した話をする人間は、結果として自分がヤクザと同じ土俵で戦える人間である旨をアピールしているわけで、最終的に、この種の話はマッチョな度胸自慢みたいなところに着地してしまいがちなものなのだ。

 対北朝鮮の話で、手ぬるい話やお花畑なご意見を披露すると、

 「譲歩すればつけこまれるだけだ」
 「ガツンと言ってやらないといけない」
 「思い知らせてやるしかない」
 「ビビったら負けだ」

 式の声が殺到するのも、腐れマッチョの作用だ。
 誰であれ、文字の世界では無敵のマッチョになれる。その文字でできた筋肉が、ネット言論の一部を形成している。

 北朝鮮関連について話していると、少なからぬ割合の男たちが、いじめられて泣いて帰って来た小学二年生に「やられたらやり返せ。ここでナメられたら一生いじめられっ子やでぇ」みたいなアドバイスをするスパルタンなオヤジじみた人間に変貌する。

 まあ、話が子供のケンカなら、あるいはその場できっちりと報復しておくことが、色々な方面への目配りとして、また、本人の自尊心を防衛する意味で、適切な態度でありうるのかもしれない。私自身は、その方法は勧めないが、そういう考え方をする人たちがいることは理解する。

 でも、隣国が繰り出してくる核実験に対して、マッチョな言葉を振り回すのは意味が違う。
 マッチョな態度で応じるということになると、さらに別次元の話になる。

 相手と同じ狂犬として同じステージに立って牙をむき出してみせることが、仮に男らしい態度であるのだとしても、それは必ずしも賢明な振る舞い方ではない。

 安倍晋三首相ならびに菅官房長官は、この一週間ほど、北朝鮮に対して「圧力」という言葉を強い口調で繰り返すことで、国民の怒りに対応しつつ、マッチョなリーダー像をアピールしているように見える。

 とはいえ、現状のわが国が、北朝鮮のミサイルや核兵器に対して、有効な「圧力」を行使するだけの「実力」を持っているわけではない。

 原油の禁輸措置をちらつかせたところで、わが国が北朝鮮に原油を輸出しているわけでもない以上、その台詞はどうしても空虚さを帯びる。

 経済制裁も、もはやほとんどやれることはやり尽くしている。軍事的な圧力は、そもそも憲法上不可能だ。

 ということはつまり、総理や官房長官が言っている「圧力」は、エンジンの空吹かしとそんなに遠い動作ではないわけだ。

 アタマに血がのぼるのはわかる。
 唯一の被爆国である日本のアタマを飛び越えるカタチでミサイルを発射した数日後に、核実験をやらかしてみせた彼の国の無礼さと無神経さは、とてもではないが近代国家のマナーではない。

 ただ、アタマに来ることと、その感情を口に出すことは別の話だし、その「アタマに来た」という感情にまかせて行動することは、さらにまったく別次元の話になる。