怒りゆえにふさぎ込んでしまう人もいれば、怒りに酔ってしまう人たちもいる。
 あるいは、怒りを抑圧することでひどいストレスを抱えることになる人もいる。
 適切に気分転換を図ることができる人間は、むしろ少数派だ。
 いずれにしても、感情の問題を、行動に直結させずに済ますことは、簡単ではない。

 ミサイルが飛んできた当日、私は、朝日新聞のコメント取材に答えて
 「過剰に反応するのは相手の思うツボだ」
 という主旨の話をした(こちら)。

 で、案の定というのか、この記事を読んで怒った人がたくさんいたようだった。
 そのうちの一部の人たちは、私のメールアドレスやツイッターアカウントに向けて、反論を書いてきた。

 怒っている人たちは、自分の怒りを否定されると、さらに怒りを増幅させる。

 「怒ってはいけない」
 「怒りにコントロールされてはいけない」
 「怒りを相対化しないといけない」
 「怒りとは別に、理性で思考すべきだ」

 というようなことを言われると、怒っている人間は、

 「君は知能が低いんだね」
 「バカはすぐに怒る」
 「導火線の短い人間は野蛮人だぞ」

 と決めつけられたみたいに感じる。
 そんなわけで、怒っている人をさらに怒らせる言葉は、つまるところ

 「落ち着いてください」

 だったりする。

 自分の怒りを制御するのは大変に難しいことだが、他人の怒りに対処するのも簡単なことではない。いずれにせよ、怒りは、処理しやすい感情でもなければ、簡単に消せる感情でもない。それどころか、怒りに身を任せることは、気分をすっきりさせる経験だったりする。
 だから、あるタイプの人々は、怒りに嗜癖する。

 ここのところがまた、やっかいなところで、結局のところ、北朝鮮による不愉快な挑発がもたらす、最も対処しにくい副作用(むしろ、こっちの方が主作用なのかもしれないが)は、我々の中に滾る怒りの感情だということになる。

 怒りにとらわれた人間は、正しい判断ができなくなる。
 というよりも、彼らは、正しい判断を拒否する。
 自分の怒りをより純粋に燃え上がらせる方向でしか、ものを考えなくなるのだ。

 特に集団的な怒りに同調した人々は、明らかに非合理な行動を選択する。
 というのも、怒りに嗜癖した人々は、自分の怒りを否定されることを何よりも憎むからだ。

 と、怒りそのものが、彼らの行動原理になる。
 となると、その怒りには、誰も対応できなくなってしまう。

 いつも怒っていたある男の顔を思い出す。
 その男が、何年かに一度のタイミングで私と会う度に繰り返す話は、毎度決まっている。
 彼が私に訴えるのは、自分の家の庭先に、近所の犬が糞尿を残していく問題についての話だ。

 なんでも、緑道のある公園への抜け道になっている彼の家の玄関前の私道は、早朝、犬を散歩させる人たちが多数通るのだそうで、その折、少なからぬ数の犬たちが、私道と彼の家の庭を結ぶ一角に彼の母親が植えたハナミズキの木の根方で用を足していくというのだ。