でもまあ、0点はあんまりだった。
 10点ぐらいは取っておくべきだった。

 さらによろしくないのは、高校を出た後の積み上げが乏しいことだ。
 受験科目に選ばなかった教科の学力は、だいたいにおいてそういうものではあるのだが、結局、私の日本史の学力は、中学生段階のところから一歩も前に進んでいない。

 なので、大河ドラマは見ない。歴史小説もほとんど読まない。関心を抱くに足る教養を欠いているからだ。
 それゆえ、雑学さえ身につかない。実に困ったことだ。

 話がズレているついでに、せっかくなので私が大河ドラマを視聴しない理由を明らかにしておく。

 私は、出演者全員がわめいているタイプのドラマを好まない。
 で、NHKの歴史大河ドラマはそれにあたる。

 サムライが出ることが多いからなのか、あるいは舞台あがりの演出家がかかわっているからなのか、あの枠のドラマは、出演者の全員が腹から声を出すめぐり合わせになっている。たぶん、舞台ではああいう発声をしないと後ろの客席まで声が届かないのだろうし、ああいう声が出せること自体は、俳優としての優れた資質でもあれば、訓練の賜物でもあるのだろう。

 でも、それを見せられる私からすると、脚本や筋立てがどうであれ、同じ部屋の中にいる人間が10メートル離れた相手と対話しているみたいな発声でセリフを読み上げているドラマは、もうそれだけで御免こうむりたいという気分になってしまうのだ。

 だから、子供の頃は、大河ドラマの流れている時間は、テレビのある居間から避難していた。
 それほど私は大人の男の大きな声が苦手なのだ。
 いきおい、武士もきらいになった。
 ブラウン管の中のサムライは、いつもリキんで大声をあげていたからだ。

 民放がやっていたちょんまげ時代劇は時々視聴した。
 夕方にやっていた再放送は、学生時代から失業時代を通してほとんど毎日だらだら見ていたと言って良い。
 というのも、民放の時代劇の中の町人たちは普通の声でしゃべっていたからだ。

 しかしながら、江戸市井モノの捕物帖や、黄門様の全国漫遊譚は、歴史の知識にはあまり貢献しない。
 そんなわけなので、私の日本史知識はいまだに文明以前の停滞の中にある。

 断片的な知識はそこそこに蓄積した気がしているのだが、なにしろ体系としての歴史の流れの骨組みの部分を把握していないしので、せっかくの知識がまるで身になっていない。この点は自覚している。手遅れだとも思っている。

 話を元に戻す。
 歴史にはとんと暗い私にしてからが、安倍さんがあの歌を引いたことの不適切さはなんとなく感知できた。

 平野国臣がどんな人物であるのかを知らなくても、ふつうに短歌を鑑賞する感覚を持っていれば、あの場面であの歌を引いた感覚には、やはり違和感を感じずにおれない。

 以前、安倍首相は、新宿御苑での観桜会で、
 「給料の 上がりし春は 八重桜」
 という俳句を披露したことがある。
 私は、この句を聞いた時点で、首相の言語的センスを見限っている。