逆に言えば、全力をあげて建前を守ろうとしている人々の取り組みがあるからこそ、近代の五輪は、ナチスドイツが開催したような過去のあからさまな国家主義的なイベントと一線を画する、上質の娯楽として発展してきたと言えば言える。

 商業主義に毒され、あるいは勝利至上主義の結果としてのドーピングから逃れられずにいながらも、それでもなお、国家主義を煽ったり、無用の対立を演出することだけはしないように、近代の五輪は、その点に最大限の努力を注いできた。

 そこへ持ってきて、公共放送たるNHKが、解説委員の口を借りて、「国威発揚」を五輪開催の第一のメリットと断言している。
 驚天動地の無神経さだ。
 私は、この「たしなみ」のなさの先にあるものを恐れる。恐れざるを得ない。

 全国都道府県及び20指定都市が発売元となって全国で販売する、「東京2020大会協賛くじ」(第699回全国自治宝くじ)のリンクをクリックすると

「私たちも、ニッポンのお役に立ちたい。」

 というキャッチコピーが大書されたポスターを見ることができる(こちら)。

 私は、このキャッチコピーだけをとりあげて、「国家主義への回帰」だとか、「ファシズムの足音」だとかみたいなお題目を喚き散らそうとは思っていない。この物言いに多少の「気まずさ」を感じたからこそ、ギャグですよ、と言わんばかりのビジュアルを使っているのだろう。

 ただ、ここにも「たしなみ」のなさを感じないわけにはいかない。
 結局、おそろしいのは、人々がたしなみを忘れることなのだ。

 実際、五輪に関連する商品の中で

「私たちも、ニッポンのお役に立ちたい」

 といったフレーズを無邪気に使ってしまえる感覚は、これから先、五輪に協力しない国民を無造作に排除しにかかる神経になんということもなく変質して行くはずだ。

 私がテレビの出演依頼を断ったのは、五輪反対派として顔を知られることになった場合の面倒を恐れた私自身の小心さのゆえだ。この点は、自分自身、恥ずかしいと思っている。

 が、現実問題として、小心者は五輪に反対できなくなりつつある。
 このことはつまり、五輪を招致した人々が、五輪という国家的プロジェクトを戴くことを通じて、徐々に、もの言えない空気を作ることに成功しているということだ。

 私は、4年後、原稿を書くことができているだろうか。
「お前は、ニッポンの役に立たない」
 と言われた時、私は何と答えるべきなのだろうか。
「ニッポンは私の役に立たない」
 か?

  そのセリフをほざいたのだとして、私は、生き残れるだろうか。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

「ニッポン」を「会社(あるいは部署名)」に入れ替えると
ゾクゾクするくらい怖いです…

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