相手を軽んじていなければ、こんな依頼の仕方は採用できない。
 彼らは私を軽んじているのか、あるいは私以外の人間にも同じような依頼状を送っているのだとしたら、芸能プロダクションに所属していないすべての人間を軽んじているのだろう。

 彼らは、液晶画面の外側にいる人間を画面の中に招き入れることのできる自分たちの権能を、そこいらへんのド素人を有名人に作り変える魔法の力そのものだと考えていて、それであんなふうに高飛車なのかもしれない。

 ついでに申せば、2日前に送付した出演辞退のメールには、いまだに返事が届いていない。

「今回ご縁がなかったことは残念ですが、今後とも、お見限りなきよう、よろしくお願いします」

 ぐらいな通り一遍のお世辞ぐらいは返して寄越してもバチは当たらないと思うのだが、彼らはそれをしない。

 半月前に出演依頼をしてきた、ネットテレビ局もギャラを明示していなかった。出演辞退のメールにも同じように返事がなかった。
 これが彼らの業界の慣習なのだろうか。
 だとしたら、あの人たちはいったいどうやって「お・も・て・な・し」の心を伝えるつもりなのだろう。

 今回は、オリンピックに関連して、このひと月ほどの間に考えたことを書き残しておくことにする。

 まとまりのない文章になると思う。が、4年後に読みなおしてみれば、それなりに面白い読み物になっているはずなので、評価は4年待ってほしい。4年後にこの文書がつまらなくなっているのだとしたら、それは東京五輪が大成功しているからだと思う。その時はその時で、テキストのつまらなさについては、できれば、五輪の成功に免じて見逃してくれるとありがたい。

 まず、開会式で、日本チームが、選手でなく、役員を先頭に行進したことが話題になった。

 当然、「アスリートファースト(選手優先)」の趣旨に反するのではないかという批判の声が上がった。
 で、これに対しては、五輪閉幕後、橋本聖子団長が

「『アスリートファースト』というもののはき違えだけはしないようにしたい。アスリートが求められるものは最高なものにしていこうという心掛けの中で、アスリートファーストをしっかりと構築していかなければいけないという気持ちでいることは確かであります」

 と反論している(こちら)。

 全体として意味のわからない反論だが、こういう人の言わんとするところは行間にあらわれていることになっている。

 なので、私が補足してさしあげることにする。橋本団長が言いたいのは、要するに

「選手は調子に乗るな」

 ということだ。
 橋本団長ならびに日本の体育会および各種競技団体の爺さんたちは、

「アスリートファーストというのは、アスリートのために五輪が開催されるということではない。五輪の施設やプログラムをアスリートが最高のパフォーマンスできるように整えるべきだという理想を意味する言葉だ。これを実現するためには、アスリートの自覚を促し、厳しく指導する必要がある」

 ぐらいに考えている。

 国民の総意もほぼ同じあたりを行ったり来たりしている。
 われわれは、選手を、ヒーローとは見ていない。
 どちらかといえば、運動会に出てくる近所の子供の延長と見なしている。だからこそ応援している。
 そういうお国柄なのだ。