そういう意味でも、お役所の罪は深い。
 「過酷な市場競争にさらされていないお役所にしてからが、障害者を事実上排除してるのに、どうしてオレら一般企業がお国の指示に従って、雇用率を守る義理があるんだ?」
 「つまり、障害者雇用率とかいうおためごかしの取り決め自体が、どうせ集票目的の宣伝活動に過ぎなかったってことだわな」
 「生産性だとかいう言葉を使ったカドで非難されてた政治家がいたけど、少なくとも役人は彼女を責めるわけにはいかないだろうな。それともアレか? 口から出る言葉として生産性という用語を使うのはNGだけど、不採用通知を通じて特定の相手に思い知らせるのはOKだってことなのか?」

 てな調子で、官公庁が「建前」を守らないことは、おそらく一般企業の詐欺的採用やブラック雇用への追い風になる。

 特段に強欲な経営者でなくても
 「結局この世界の唯一のルールは『適者生存』に尽きるってことだよ」
 式の市場原理主義的な信念に共感を寄せる人は少なくない。

 してみると、「リアル」であることを自負する新自由主義的な企業家にとって、障害者雇用率なる枠組みは、制度的な偽善である以上に経営への過度な介入であり、結論としては、彼ら自身の人間観を否定する古いドグマだ、ってなことになるのだろう。

 毎日小学生新聞によれば、障害者雇用における水増し発覚のケースは、中央省庁のみならず、自治体の採用にも及んでいる(こちら)。

 読者の環境(契約の有無とか)によって、リンク先の記事が読めるかどうかちょっと私の方からはわからないのだが、最近、私は、この種の、社会の成り立ちの根本にかかわるニュースは、いっそ小学生新聞で読むのが適切なのではないかと思い始めている。

 実際、リンク先の記事は、要点をおさえつつ、シンプルかつ明快に事態を伝える素晴らしい記事だ。
 今回発覚した事態は、障害者雇用という社会的包摂のうちの最も大切な部分で、模範を示すべき官庁ならびに自治体が、自ら率先して障害者差別を実行していたことを示唆している意味で、大変に深刻だ。

 こういう話題に関して、報道機関は、思い切り建前寄りの記事を配信せねばならない。
 でないと、「リアルな欲望」や「めんどうくささの回避」に流れがちな「現実」とのバランスがとれなくなる。

 毎日小学生新聞は、先日の杉田水脈議員の「生産性」発言の折にも、8月9日付の記事で、ほかの日本中の大人向けの新聞が避けていた真正面からの論評をあえて試みている(こちら)。

 記者は、

《 -略- 国会議員(こっかいぎいん)は差別解消(さべつかいしょう)のために働(はたら)く立場(たちば)にありますが、杉田議員(すぎたぎいん)は、子(こ)どもを産(う)むかどうかで人(ひと)の価値(かち)を判断(はんだん)し、その誤(あやま)った評価(ひょうか)で社会(しゃかい)の支援(しえん)を受(う)けられるかどうかを決(き)めるという間違(まちが)った考(かんが)えを主張(しゅちょう)しました。 -略-》

 と書いている。
 ここまではっきりと杉田議員の主張を否定し去った記事が、ほかにあっただろうか。