かくして、金メダルを獲得した時点から遡って、過去の不祥事を「逆境」と再解釈する美談作成回路が発動した結果、メダリストが過去に犯した不祥事は、武勇伝みたいな扱いの「秘話」「いい話」にされる。

 まるで、昔ヤンキーだった先生が、ヤンキー時代の不行跡を自慢話として語っているみたいな話だ。

 こういうことが起こるのは、メディアと読者の間に「美談」をめぐる共犯関係があるからだ。
 スポーツ新聞やワイドショーは、選手の無名時代の友人やら故郷に住む親戚やらを手当たり次第に取材して、とにかくあらゆる些細なプライベート情報を収集しにかかる。
 で、お目当ての選手がメダルを獲ると、事前に撮りためてあった材料をもとに、型通りの「美談」を構成しにかかる。

 これは、メディアの商売であるようにも見えるが、それだけではない。商売である以前に、視聴者の強い要望にこたえた結果であることを認識せねばならない。あれは、われわれがやらせている。わたしたちは、ああいうのが大好きなのだ。

 視聴者は、美談を要求する。
 素材自体は子供時代のわんぱく自慢でも良いし、他愛の無い泣き虫エピソードでもかまわない。
 どんなお話であれ、最後がメダルに着地すれば、必ず美談になる。彼らにしてみれば、そういうVTRの作り方は、お手のものだ。

 甲子園にも毎度毎度美談がついてまわる。
 ちょうど2年前の今ごろの当欄で、女子マネージャーがおにぎりを二万個握ったエピソードをいじったことがあったが(こちら)、今回も、また似たような話が新聞記事になっている。

熊本・秀岳館の吹奏楽部「野球部と日本一に」 コンテスト断念し甲子園へ

 という見出しで書かれた西日本新聞の記事がそれだ。

 本文を読むと、

《南九州大会は8月11日。県予選を通過しても、甲子園の応援を優先すれば大会には出られない。コンテストか、甲子園か。7月下旬の職員会議は2日間にわたった。多くの教員が「コンテストに出るべきだ」と主張した。吹奏楽部の3年生6人も話し合いを重ねた。「コンテストに出たい」と涙を流す部員もいた。

 しかし演奏がなければチアリーディングもできず、応援が一つにならない。「野球部と一緒に演奏で日本一になります」。顧問の教諭に決断を伝えた部長の樋口和希さん(17)の目は真っ赤だった。》

 と、吹奏楽部のメンバーや顧問が、吹奏楽のコンテストに出場すべきか、甲子園に行って野球部の応援に協力すべきなのかで迷った様子が活写されている。

 とはいえ、記事の末尾は

《「県予選で全力を出し切り吹っ切れた」。部員の田畑史也さん(16)は16日、スタンドでドラムを打ち鳴らした。樋口さんは「最高に気持ちが良い。僕たちも全力で戦います」。頂点を目指すナインとともに「熱い夏」を過ごすつもりだ。》

 となっていて、結局のところ、全体として、吹奏楽部の決断を一人の生徒のハッピーエンドの笑顔に代表させることで処理してしまっている。