コラムニストは、呶呶烈々自説を主張するばかりではやっていけない。
 時には他人の考えにあえて同調してみることで、硬直したアタマをほぐしにかからないといけない。
 そうでなくても、ここのところ、様々な場面で、自分が少数派であることを思い知らされる機会が多い。

 私自身としては、素直に見て、普通に考えて、あたりまえに感じているつもりでいるあれこれが、世間の側から見ると「変わって」いたり「特殊」だったり「ひねくれ」ていたりするらしいのだ。

 もちろん、他人と違うからといってただちに自分が間違っていると考えて意気消沈するわけではない。私はそれほど気持ちの弱い人間ではない。
 とはいえ、自分の感覚が「普遍」で、世間のほうが偏っているのだと、20代の頃にそうだったみたいに自信満々のテイで言い切れるのかというと、そうもいかない。無理だ。

 で、結果として、私は、さまざまな場面で発生する行き違いを
 「ああ、そうですか」
 の一言で処理している。
 処理しているというよりは、マトモに対応することを断念していると言った方が適切だろう。

 私はあきらめている。
 われわれはわかりあえない。
 であれば、せめて罵り合うのはやめようじゃないか、と、そのあたりに新しい線を引いている次第だ。

 たとえば、特定の誰かが何かを好む理由を詳しく問い質してみると、それは、まさに私がそれらを嫌っている理由と同一だったりする。こうした発見は、私から、議論する気持ち根こそぎに奪い去って行く。

 五輪の開催は、8月の東京に騒がしさと混乱をもたらすはずだ。
 それらが2年後にやって来ることの予感がもたらすわずらわしさだけで、すでにして私は不機嫌になっている。

 ところが、五輪を楽しみにしている人たちが待望しているのは、まさにその、私が嫌悪しているところの、騒がしさとせわしなさと混雑と混乱それ自体だったりするわけで、つまり、彼らと私の間には、議論をしようにも、はじめから歩み寄りの余地がありゃしないのだ。 

 しかも、どうやら多数派は彼らの方で、私はマイノリティーだ。ということは、この国において、正義は彼らの側にある。

 思い起こせば、学校に通っていた時代から、すでに似た事情はあった。
 私は、「行事」がきらいな子供だった。

 「行事」というのはつまり、運動会とか学芸会だとか、あるいは遠足でも写生会でも良いのだが、そうした通常の授業とは違う、特別枠のスケジュールで挿入されるイベント一般のことだ。

 なぜそれらのイベントがきらいだったのかというと、これはいま考えれば仕方がないことだったとも思えるのだが、百人以上の子供たちをひとつのイベントに集中させるためには、必ずや「同調」を求める局面が発生するからだった。

 私は、その「同調」が苦手なメンバーだった。
 それゆえに、校外活動や恒例の学校行事を含むカレンダーイベントのことごとくを、憂鬱な気分で過ごさねばならなかったのである。

 たとえば、運動会では、本番に先立ってひと月以上前からフォークダンスの練習が通常の体育の授業をツブす形で繰り返されることになっていた。
 その「練習」は、端的に申し上げて、苦行以外のナニモノでもなかった。

 私が通っていた小学校では、1年生から6年生までの全校生徒が校庭をいっぱいに使って「グリーンスリーブス」という曲に合わせて一斉に踊る最後の場面が、学校の名物というのか、運動会の「見せ場」になっていて、ために教師たちは、例年通りの見事な群舞を今年もまた再現させるべく、毎度毎度、躍起になってダンスの練習を強要した。

 私は、他人に合わせて決まった動作をすることが苦手で、うまく踊ることができない子供だったわけなのだが、それ以上に、意味のない練習を強いられていることが不満でならなかった。

 「これって、来賓に見せるための踊りだよね?」
 「どうしてぼくたちが、PTAだとか来賓を喜ばせるために踊りの練習をしないといけないんだろうか」
 「運動会って、観客のための催しなの?」
 「オレらは見世物なのか?」

 と、胸の奥から湧き出してくる疑問と呪詛の声を飲み込みながら、大好きな体育の授業をツブされて、退屈な踊りの所作をリピートさせられるのは、私にとっては大変な苦痛だった。