いつだったか、メリル・ストリープという女優さんが、

 「特権や権力、抵抗する力のすべてにおいて、自分が勝っている相手です。これを観たときに私の心は少し砕けてしまって、いまだに頭の中から追い出せない。映画の場面じゃなかったので。現実だったので。そしてこの、人に恥をかかせてやろうというこの本能を、発言力のある権力者が形にしてしまうと、それは全員の生活に浸透してしまいます。というのも、こういうことをしていいんだと、ある意味でほかの人にも許可を与えてしまうので。他人への侮辱は、さらなる侮辱を呼びます。暴力は暴力を扇動します。そして権力者が立場を利用して他人をいたぶると、それは私たち全員の敗北です」(引用元はこちら

 というスピーチをしたことがあった。
 で、実際に、アメリカでは、トランプ大統領の就任以来、ヘイトクライムが目に見えて増えている。
 これは、大変に示唆的な話だと思う。

 似た話はわが国にもある。

 以下のリンクは、兵庫県の私立名門校灘中学校・高校の校長が、同校で採用する歴史教科書をめぐって、現場に押し寄せた有形無形の「圧力」や「抗議」について書き記した文章だが、この場面で同校の事務局に寄せられた「国民世論」は、みごとなばかりに「政権」の個性を先読みしたカタチで噴出している(こちらから。リンク先はPDF)。

 私は、政権が抗議運動を主導しているというストーリーの話をしているのではない。
 そんなことをするまでもなく、権力のトップにある人間たちが抱いている「気分」を体現する世論は、おのずと形成される。

 これを「忖度」と呼ぶのか、「お先棒」と呼ぶのかは一概には言えない。
 むしろ、そうした漠たる世論を代表する実体として政権が樹立されたというふうに考えれば、これはこれで民主主義のあるべき姿だということもできる。

 トランプ大統領は、このあたりで何か一発派手な花火を上げる必要性を感じ始めているかもしれない。

 彼を支持するアメリカ人の中にも、その華々しく心躍る未知への冒険を待望する気持ちが醸されている可能性がある。

 ただ、われわれは、当事者だ。
 私たちは、花火の見物席に座っている人間たちではない。どちらかといえば、打ち上げ花火の落下の現場に近い場所で暮らしている。

 とすれば、トランプ氏に、ひとまず平常心を取り戻してもらうのが、われわれにとっての当面の最善手ということになる。
 うちの国のリーダーが、二人のイカれつつあるリーダーの仲介役をつとめられれば素晴らしい。

 あるいは雨天中止を祈る。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

「話さなくても雰囲気で、この記者は朝日、この人は日経、と分かるよ」
と、ある企業のトップの方が言ってました。

 当「ア・ピース・オブ・警句」出典の5冊目の単行本『超・反知性主義入門』。相も変わらず日本に漂う変な空気、閉塞感に辟易としている方に、「反知性主義」というバズワードの原典や、わが国での使われ方を(ニヤリとしながら)知りたい方に、新潮選書のヒット作『反知性主義』の、森本あんり先生との対談(新規追加2万字!)が読みたい方に、そして、オダジマさんの文章が好きな方に、縦書き化に伴う再編集をガリガリ行って、「本」らしい読み味に仕上げました。ぜひ、お手にとって、ご感想をお聞かせください。

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