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 告白すれば、私自身、2年ほど前から、同誌の目次に並んでいる文言が、月を追って異様さを加えていく変化の様相に気づいていなかったわけではない。毎度毎度、いったいどこまで行くものやらと、不安を感じていた。
 で、手をこまねいてうじうじ心配しているうちにここまで来てしまったわけです。

 今回、ことここに至ってあらためて感じるのは、活字に関わる人間であるわれわれの無力さと、世間を吹く風の凶暴さについてだ。

 この10年ほどの間に、私がかかわっていた紙の雑誌のうちの半数以上は、すでに廃刊に追い込まれている。なんとか生き残っているかに見える媒体の多くも、ページを開いてみると、5年前とは別の出版物に変貌している。

 「新潮45」について申し上げるなら、私の目には、同誌が目指している未来は、雑誌という媒体が生き残ることを許されない社会であるように見える。

 どうして自らの死を目指すのか、その理由は私にはわからない。
 が、ページを作っている人たちにしてみれば、雑誌を殺した先に何らかの未来が見えている、ということなのかもしれない。どっちにしても、行き着くところまで進んでみないと答えは出ないのだろう。

 杉田議員は、8月号の記事の58ページから59ページにかけて、こう書いている。

《例えば、子育て支援や子供ができないカップルへの不妊治療に税金を使うのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供をつくらない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要綱を発表するたびにもてやはすマスコミがいるから、政治家が人気取り政策になると勘違いしてしまうのです。》


 ネットの反応では
 「一読してあきれた」
 「論外の主張」
 「ナチスと変わらぬ優生思想そのもの」
 という感じのコメントが大勢を占めている。有識者と呼ばれる人々も、異口同音に、杉田議員の「生産性」発言の非人道性に苦言を呈している。

 私も同感だ。
 そもそも、生きている人間に対して「生産性」という言葉をあてはめにかかる用語法自体がどうかしている。

 生産性というのは、工業製品の生産管理の場面で使われるべき言葉であって、生きた血の流れているものには、たとえ犬や猫に対してでさえ決して適用してはいけない言葉だ。

 たとえば
 「一般に家庭犬では10歳を過ぎると生産性が低下します」
 「子宮の病気などで生産性を失った個体はすみやかに……」
 という文章は、ただちに不適切な表現とみなされて、少なくともペット雑誌のような媒体からは削除されるはずだ。