順を追って説明する。
 まず、ライターと編集者の関係は、単純な上下関係ではない。

《ライターを「時々仕事をまわしてやってる出入りの業者」ぐらいに思っている編集者は実在する。いま言ってるのは「そういう態度をとる編集者」のこと。内心でそう思ってる組はもっと多いはず。まあ、こっちが「時々仕事をまわしてもらっている出入りの業者」であること自体は事実だし。》(こちら

《ライターと編集者の関係では、慣例上、編集者がライターを「先生」と呼んで敬うことになっている。が、その一方で、ライターにとって編集者は、金主であり発注元であり自分の生殺与奪の権を握る全能の人間だったりもする。そんなわけなので、われわれは互いに皮肉を言い合わずにおれない。》(こちら

 以上のツイートが示唆している通り、ライターと編集者は、微妙なチェックアンドバランスの力関係の中で、互いに互いを牽制するべく宿命づけられている。

 であるからして、実際のところライターは、外からそう見えているほど自由気ままに生きているわけでもない。というよりもほとんどのライターは、一般のサラリーマン以上に自分の生活を守ることに汲々としている。

 ライターを目指すタイプの若い人は、多かれ少なかれ、「自分の腕一本で、自由に生きていく、クリエイティブな生き方」を志向している。

 ところが、その自由であるはずのライター業が、一般のサラリーマン以上に、営業努力と業界遊泳術に身をやつして生きている自分売り商売なのだとしたら、夢もへったくれもないではないか。

 大きな稼ぎが期待できるのならともかく、貧しくても自由な生き方をと思っていたその職業生活が、貧しい上に米つきバッタよろしくのペコペコ人生なのだとしたら、とてもじゃないがやっていられない。

 1週間ほど前、ある出版社の社員編集者のアカウントが

《商売柄「ライターの仕事をしたい」という人と接する機会は多くて、「どんな勉強すればいいんですか」と聞かれるたびに「人柄をよくしましょう」と言っています。一度だけ「実力勝負じゃないんですか」と返されたことがありますが、「その勝負の舞台に何回上がれるか決めるのが人柄です」と答えました。》(こちら

 というツイートを書いて、これが、ちょっと話題になった。ちなみに、7月20日現在で、このツイートは、7252件RT(リツイート)されており、「いいね」の数は1万を超えている。
 それほど支持されているということだ。

 このツイートをした編集者氏は、前向きで役に立つ情報や、古典文学や出版界のできごとについてちょっとした発見やウンチクを披露してくれている人で、私自身、常々敬意を抱いている発信者だ。

 ただ、この日のこのツイートには、現役のライターである身として、いささかカチンと来た。

 なんというのか、期待される最大の能力が「人柄」であるような職業があるのだとしたら、その職業でメシを食っている人間は「間抜け」ないしは「腰抜け」ということになってしまう気がしたからだ。

 ライター志望の若者に良き人であることの大切さを教える主旨そのものは、間違っていない。というか、まったく正しいと思う。しかしながら、ライティングの技巧そのものより、それを生かす周辺技術(すなわち「人柄」)の方が大切であるかのような言い方をしたら、若者は、ハシゴを外された印象を持たないだろうか。

 私が、こんなことを言うのは、半分ぐらいは偏見かもしれないのだが、ライターを志望するのは、文章の得意不得意以前に、対人交渉能力や対社会適応力に自信を持てずにいる若者である気がしているからだ。