80年代の雑誌創刊ブームの時代に、20代から30代の若手ライターとして一斉に登場した「新人類ライター」「サブカル文化人」「テクニカルライター」といったあたりの人間たちが、いまだになんだかんだ第一線で活躍している。

 この間、現在に至るまでの約30年余り、新しい若手がまるで登場しなかったわけでもないのだが、その彼らは、結局この業界に定着していない。

 あらためて眺めてみると、不思議ななりゆきではある。
 どうして、若手が育たないのだろうか。
 これにも、いくつかの仮説がある。

 「若手が育たないというより、若い人が参入してくれなくなっているのだと思うよ」
 「っていうか、見切りをつけられた、と言うべきなんじゃないか。この際はっきりと」
 「近海アワビ漁の後継者不足に似た話だということか?」
 「むしろ曲げわっぱだとか風呂桶を作る職人の最若手が50代でしたぐらいな話に近いと思う」
 「最後の和文タイプ名人とか、おじいさんのランプとか、そういう話かもしれない」
 「ごんお前だったのか、メールで原稿を送ってくれていたのは、的な?」
 「いずれにせよ、オレがイケてる若者だったらこんな仕事は目指さないな」

 と、多少とも業界の事情に通じている人間は、若手の人材不足を、もっぱら業界そのものの黄昏を示唆する出来事として受け止めている。

 が、若手のライターやライター志望の若者たちは、必ずしもそう思っていない。

 「高齢のライター同士がギルドみたいな職能集団を形成していて、若い書き手の参入を阻んでいる」

 と思っている人たちが、一定数いる。実際、こういう見方を開陳している人たちの存在をネット上のブログやツイッターで発見して私は、驚いたものなのだが、まあ、若い人たちから見れば、そういうことなのかもしれない。

 ライターだけではなく、編集者もデスクも編集長も軒並み高齢化している雑誌の世界は、彼らの目には高齢の人間たちがスクラムを組んで若手を排除している利権共同体みたいに見えている、その可能性はある。

 いつだったか、ツイッター上で、「高齢のライター(評論家)は、後進に道を譲るべきだ」という内容を含むツイートが話題になったことがある。

 これを書いたライターさんの主たる主張は、必ずしも「高齢のライターは身を退くべきだ」というところにはなくて、いくつか別の話をするなかで、このフレーズが出てきただけの話なのだが、話題はそこから派生して「老害ライターは身を退くべきか」といったあたりで無責任に盛り上がった。

 私は、勝手に横からこの騒ぎを眺めつつ、以下のようなツイートを書き込んだ。

《芸人であれライターであれ商業メディアで働く者の生殺与奪の権を握っているのは、プロデューサーであり編集者であって、出演者、書き手はただの駒で、だから後進に道を譲るとか、そんな話はそもそも夢物語だよ。どこの玉ねぎが新玉ねぎに棚を譲ってゴミ箱に身投げする? 八百屋の親父に言えよ。》(こちら

 このツイートの中で、私は、ライターが、自分の立ち回り先や引退時期を決める権利も権限も持っていないという単純な事実を指摘したつもりでいる。

 ライターは演者に過ぎない。彼を起用し、配置し、テキストを書かせ、あるいは隅に追いやり、廃棄し、ペンを取り上げる権利は、編集者が持っている。ということは、老害ライターの排除は、老害ライター自身に対してでなく、彼らを起用している老害編集者に向けて訴えるべきだということだ。

 この問題は、単純なようでいて、意外に奥が深い。
 で、最近、私は、この問題の陰険な奥の深さが、若い人たちにライター業への参入をためらわせている理由の本命なのではなかろうかと思い始めている。