ささいな言葉の違いに過ぎないと思う人もあるだろう。
 が、ささいな言葉を入れ換えてでも、なんとかニュアンスを変えようとしているからこそ、彼らは憲法を書き換えようとしている。

 「個人」を「人」に換えるのは、自民党の議員さんが二言目には口にする「行き過ぎた個人主義」を正したい気持ちを反映したものだ。権利権利と、おのれの欲と利己的な自己利益ばかりを主張するようになった、戦後社会の醜い日本人の心性を糺して、家族と支え合い、地域の責任を担い、国を守る気概を持った集団の中の「人」であることを求めるために、あえて金八先生が黒板に書いた通りの、支え合う人と人の絵柄通りの「人」を持ってきたというわけだ。

 「公共の福祉」を「公益および公の秩序」と、より明確な言葉で強く定義したのも、「人」と「公」のバランスを、「個人」よりは「公」寄りに修正しようとする意図のあらわれだと思う。

 もうひとつ、自民党の憲法草案では、第24条に以下の文言が新設されている。

《家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。
家族は、互いに助け合わなければならない。》

 都連の誰かが、ああいう文書を起草したのは、この条文が、アタマのどこかにあったからだと思う。

 私自身も、家族は助け合うものだと思っている。
 助け合う家族と助け合わない家族があるのなら、助け合う家族の方が望ましいとも思っている。

 ただ、家族が助け合うべきであることは、ポテトチップスの袋を開ける時に力ずくで破くべきではないことと同じく、憲法に書くようなことではない。
 憲法は、国民を縛るものではない。
 でもまあ、もし縛られたい国民が半数を超えるようなら、そういう憲法ができるのも仕方がないのだろう。

 せめて貯金をしておくことにしよう。
 最近、こればっかりだが。

(文・イラスト/小田嶋 隆)

縛るのは憲法じゃなくて、〆切ですよね。
破った場合は社規に基づき処(以下略)

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