これからしばらくの間、私は天皇について様々な可能性を考えることになるだろう。
 でも、そうやって考えた内容や結果を、私は、誰にも伝えないかもしれない。

 私は、ずいぶん前から、皇室に関する事柄は、ひとり一人の日本人の心の内部に、極めて個人的な感情として根を張っているものだと考えるようになっている。それゆえ、その個々の国民の皇室への個人的な思いを「集団的に」扱おうとする態度には、警戒心を抱いている。

 皇室への感情は、少なくとも私にとってはプライバシーの範囲内にあるものだ。
 愛国心と同じく、それは、パブリックな問題ではない。
 たとえは悪いかもしれないが、それらは、私にとって、他人に公開すべきものではないという意味で、性生活と同じ箱に入っている。 

 賛成しない人もいるだろうが、自分がそういうタイプの羞恥心を持つ人間であるということについて、私は、他人にとやかく言われたいとは思っていない。

 この国の(というよりも、東アジアの国々の)為政者や公的な立場のリーダーは、いつも私的な事柄を公的に扱おうとして、過ちを犯すことになっている。

 別の言い方をすれば、「リーダー」と言う言葉を、「他人の感情をコントロールすることを許された人物」と脳内翻訳してしまうタイプの思い上がった人間が立候補するのが昔からの東アジアの選挙の定番だということでもある。

 というわけで、この話は、おしまいにする。
 今回は、せっかくなので、リーダーと家族に関連する話をする。

 天皇陛下の生前退位をめぐるニュースの数時間前、都知事選に関連して
「都知事選 自民、増田氏以外の応援処分」
 というニュースが伝えられた(こちら)。

 都連の候補者選びには、色々と言いたいことがある。
 自民党の候補者選びも、民進党(および野党共闘)の候補者探しも、最後までドタバタが続いて、大変に見苦しかった。

 いずれの党も、党中央と都連の思惑に食い違いがあることと、政策本位で選ぶ候補と知名度ありきで推したい候補が食い違っていることもあって、結局、最後まで一本化するのに苦労した。

 一本化できないことそのものは仕方がないのだとして、候補者の名前が変わる度にそれまで言ったことを変えるのは、政党としてあるまじき姿だったと思っている。都連の人間と党本部の人間が、同じ時期に違う候補を立てようとして相互に矛盾する情報を流してしまい、それが表面化したことも、都連のガバナンスの貧弱さを天下にあまねく知らしめる意味で、良い恥さらしだったと評価せざるを得ない。

 最初から経緯を見ていた都民はほとほとうんざりしたはずだし、一連の茶番劇に投票意欲を失いつつある有権者も少なくないはずだ。

 そんなわけなので、誰が当選するのかはともかく、投票率が史上最低を記録することだけは現段階で断言して差し支えないと思う。あまりにも馬鹿げている。

 記事に戻る。
 一読して、なによりも驚かされるのは、都連が、議員の親族が非推薦の候補者を応援するような政治活動を禁止している点だ。

 禁止できると、彼ら彼女ら(以下煩瑣なので “彼ら”と書きます)は本気でそう考えたのだろうか。
 これまた、あまりにも馬鹿げている。
 というよりも、一点の曇りもない馬鹿のやりざまだ。